第193話
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさく がんしゅ りゅうもん てっきょう)は、大分県日田市日高町にあるダンワラ古墳(ダンワラこふん)から出土しました。1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で線路の盛土を採集している際、石棺が出土し、その中からこの鏡が発見されました。重要文化財として、現在は東京国立博物館に所蔵されています。
発見者によれば、石棺からは鉄鏡と同時に鉄刀、轡が出土し、近辺からは碧玉製管玉、水晶製切子玉、ガラス製小玉なども出土したといいます。この金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、日本で出土した鏡の中では最も豪華なものです。三国志の曹操の墓から出土した鏡とほぼ同じ型式である可能性があり、まさに皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡です。上垣内憲一先生は卑弥呼にふさわしい魏からの贈り物とされておられます。
ダンワラ古墳は、一説には当時の日田地方の豪族日下部氏(くさかべ)の古墳とも言われています。日下部氏は、彦湯支命(ひこゆき)を祖としています。彦湯支命(ひこゆき)はウツシコオの幼名です。参照:ヒコサチ:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草
彦湯支命(ヒコユキ)は穂積臣、采女臣、物部連らの祖です。天皇に后を送り込むので木開足尼(キサキのすくね:后の宿祢)の別名をもっています。八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ヒコユキはこのプログではすでにお馴染みの人物です。卑弥呼の弟の内色許男命:ウツシコオのことです。忌部氏(彦幸)~和歌山・名草
出石心大臣命の親ともされています。出石心大臣命はイカガシコオのことですから、この彦湯支命はウツシコオで間違いないでしょう。
研究者のたちは、このような豪華な副葬品が納められた理由は明らかでないと疑問に思っているようですが、私は何の疑問も感じません。この鏡は元々は卑弥呼のものだったのを子孫たちが引き継いだものでしょう。ウツシコオは、五十猛(饒速日)とともに九州にも拠点を持っていたことは既に述べています。
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のレプリカ
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫