第191話
大阪府高槻市に阿久刀神社があります。大阪府高槻市清福寺町
高槻市を南北に流れる「芥川(あくたがわ)」あり、阿久刀神社(あくとじんじゃ)」という名前はここから来ているとされています。
祭神については、いくつもの伝承がありますが、安寧天皇の妃の阿久斗比売(あくとひめ)ではないかとする研究者もいます。付近のの発掘調査では、縄文時代から奈良・平安時代、そして中近世へと続く人々の生活跡が発見されています。九州の吉野ヶ里遺跡と比較される安満遺跡はここから歩いて一時間くらいの所にあります。
また付近から、古代の郡役所・嶋上郡衙(ぐんが)跡などがみつかり、一帯が古代の三島の政治・経済の中心地だったことが明らかになっています。当時の三島を支配していたのは、大王家とのつながりの深い三島県主(みしまのあがたぬし)一族で、この地は県主一族の本拠地であり、ここに鎮座する阿久刀神社は、本来はその守り神(氏神)であったとおもわれます。阿久刀神社から約1km南西側には、継体天皇の墓とされる今城塚古墳があります。
安寧天皇は第3代天皇で、私が素戔嗚とする孝霊天皇(第7代)よりもさらに昔の天皇です。阿久斗比売と物部氏に連なる豪族「阿刀連(あとうじ)との関連を指摘する研究者もいます。阿刀氏は、先代旧事本紀によると、饒速日命の孫・味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝えられています。味饒田命の弟がこのブログでお馴染みのウツシコオです。この阿刀連は、後の佐伯直と阿刀氏であるとされ、四国・讃岐に移り住みました。
空海(弘法大師)は、この讃岐の佐伯氏です。幼名は佐伯 眞魚、宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれました。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀氏です。
私は、ウツシコオを中国語の読み書きができる天才であったと書きました。ウツシコオに空海と通じるものがあると感じたからです。内色許男命(ウツシコオ)最後の陰謀 ~長脛彦の最後
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
嶋上郡衙(ぐんが)跡 この神社の東側は、かつて奈良時代に嶋上郡衙(嶋上郡の郡役所)のあったところで、素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社が創建される前は、ここには郡の繁栄を願う郡寺(芥川廃寺)があったとされている。郡寺は白鳳時代、7世紀に創建され、平安時代中頃まで続いたと考えられている。
アマ遺跡と吉野ヶ里遺跡は、ともに日本の弥生時代の遺跡ですが、異なる特徴を持っています。アマ遺跡は、縄文時代後期から弥生時代前期にかけての遺跡で、縄文時代後期の土器や石器、弥生時代前期の環濠集落跡が発見されています1. 一方、吉野ヶ里遺跡は、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています23。淀遺跡と同様に、吉野ヶ里遺跡も国の特別史跡に指定されています3。
<大彦>
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<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
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<饒速日>
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<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫