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難升米はタジマモリ??? ~立花(尼崎市)

更新日:5月26日

第27話


『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年に田道間守(タジマモリ)は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国(魏)に派遣されました。しかし垂仁天皇99年に天皇は崩御します。翌年(景行天皇元年)、常世国から帰ってきたが、天皇がすでに崩御したことを聞き、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺しました。

京都大学教授内藤湖南氏の説では、難升米を垂仁朝に常世の国(魏)に使者として赴き景行朝に帰朝した田道間守としています。


”たじまもり”の名称については、但馬国の国守(くにもり)の意味でしょう。この「たじまもり/たぢまもり」の類音からタチバナ伝来の物語が引き出されたと見られ、「タチバナ」という名前自体を「タヂマバナ(田道間花)」の転訛とする説もあります。


この説は、崇神の子、垂仁(イクメ入彦)朝の出来事でウツシコオが難升米とする私の説に反しますので、今まで避けてきたのですが、邪馬台国は北摂とする私の説とはそれほど、齟齬が生じないので紹介します。


実は、魏志(このプログでは、魏の使いという意味です)は、垂仁朝に来たのではとも考えていたからです。


『魏志倭人伝』には邪馬台国の四人の官の名前が記されています。

官有 伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮


伊支馬 イキメ イクメ(垂仁) 倭姫命(イキメ:卑弥呼?)

曰彌馬升 ミマキ 御間城姫

彌馬獲支 ミマカキ 御間城姫

曰奴佳鞮 ヌカタ 額田部(東大阪市) 


加治木義博士氏(言語復元史学会会長)は、四官名が揃うのは垂仁朝だけで、このことにより垂仁朝のヤマトこそが、邪馬台国であると述べられておられます。

天皇、皇后、皇后、皇后の4名、地位と順序が一致しているのは、他の日本の皇朝ではあり得ないこととされておられます。地域文化誌「まんだ」第24号


その他の説も紹介しておきます。

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https://history.sakura.ne.jp/kodai/index.php/2-1/4より引用

伊支馬は「いしま」と読んで、倭氏の邇支倍(にしば)とする。邇支倍は倭国造(やまとのくにのみやつこ)という、大和朝廷のおひざもとの国造である。倭国造が邪馬台国の筆頭高官なのである。また伊支馬(いしま)と邇支倍(にしば)の音はよく似る。


つぎの彌馬升は、「みまのすくね」と読んで物部氏の三見宿禰をあてる。「升」は「宿禰」に当てた表意文字であろう。普通三見宿禰は「みつみのすくね」と読むが彌馬は「みま」で「みまのすくね」の可能性が高い。

『先代旧事本紀』の物部氏系譜によれば、三見宿禰は「孝安天皇のおそば近くに仕えた」とする。卑弥呼の政治を補佐した男弟が孝安であるから、孝安に仕えたとする三見宿禰が彌馬升で間違いない。


つぎの彌馬獲支は「みまくち」と読んで「みなくち」であろう。物部氏の水口宿禰である。物部氏系譜によれば、弟の大矢口宿祢命と共に「孝霊天皇の御世に、並んで宿祢となって、大神をお祀りした」とする。水口宿禰は孝安から孝霊時代にかけて高官の地位にあった人物である。


物部氏系譜によれば歴代の人物が、天皇の近くにあって高官の地位にある。この二人が邪馬台国の高官であることに不思議は無い。


最後の奴佳鞮は「ぬかて」と読んで、倭氏の邇支倍の子とする。一般に目にする、倭氏の系図では、邇支倍の子を飯手(いいて)とする。飯手を「ぬかて」とは読めないが「手」の字から飯手こそ「ぬかて」であると考える。どこかに飯手ではなく「ぬかて」とする系図が存在すると考える。以上引用終わり。

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彌馬獲支は「みなくち」は大水口でしょう。父は出石心大臣命=伊香賀色雄ですから、イカガシコオの子です。どっちにしてもどちらの説をとるにしても、ミマキ国(北摂)の住人であることには変わりありません。


『記紀』には垂仁天皇5年に妹の狭穂姫命に天皇暗殺を試みさせるが失敗。叛乱を興すものの、追い詰められ兄妹ともに稲城の中で自殺します。この「狭穂彦王の叛乱」は、『古事記』における最も物語性の高い記述とされ、古田武彦先生も「ここに古代王朝ありき」の中でサホは茨木市の狭穂であるとし、稲城というのは米俵に土をつめて積み上げたものであろうとされています。当時の奈良県よりも大阪府の方が稲作が盛んであったとおもわれ、米俵につかう藁がたくさんあったからです。垂仁は崇神の子供ですからこのころはまだ三島に天皇の一族はいたことになります。


ということで、仮に難升米がタジマモリ(田道間守)であっても、三島・ミマキ(御牧国)にいた垂仁の家臣であったことになります。


大和から但馬へ向かう際の交通の要所に当たる摂津国(ミマキ国:当時は摂津国はありません。)猪名に「タチバナ」(中世の橘御園を経て、現在の兵庫県尼崎市立花町)という地名があるのも、同地が大和の橘の宮殿および但馬の三宅連に関連する所領であったとする見方もあります。

ちなみに猪名(イナ)は崇神天皇の和名ミ・マキ・入彦・イニエのイニエが猪名に由来しているとおっしゃるのは、「謎の四世紀」の上垣内憲一先生です。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



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