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高天原追放

更新日:4月19日

第226話


素戔嗚は高天原の神々の衆議によって、穢れを祓う多くの品物を科されたうえに髭を剃られ手足の爪を抜かれて、みじめな姿で高天原から追放されてしまいます。


この惨めな姿で根の国に向かう素戔嗚は私にはウマシマジに見えます。

島根県(根の国)太田市にある物部神社社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、継体天皇8年(514年?)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられています。


ウマシマジは、妹の五十鈴姫を御牧入彦(崇神天皇)の后にし、御牧入彦が成人するまで後見するという形で大和朝廷(邪馬台国)のトップに立ちました。

しかしその直後に疫病(コロナ)が大流行したのです。民の半分が死に生き残った者たちも御牧国(三島・高槻)から離散していきます。人々は、ウマシマジが伯父の長脛彦を討った祟りだと騒ぎだしました。


ウツシコオ卑弥呼も死に、新たに宰相となった伊香色雄命(イカガシコオ)とも相談した結果、ウマシマジは大和(邪馬台国)を去ることにします。幸い御牧入彦(崇神天皇)は優れた人物のようです。


イカガシコオは、最近、勢力をつけ始めた渡来系の秦氏とともにそれまでの銅剣・銅鐸による支配をやめて新たに神社を創設します。神社は穢れを排除する組織です。もはや穢れたものとなった銅剣銅鐸をもってウマシマジは根の国に行かされたのです。


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<蛇足の追記>

・高天原は交野市天原576-0034です。倉治(高津宮)と禁野の中間地点にあります。ここで大和朝廷(邪馬台国)の様々な会議が開かれていました。

・素戔嗚も今でも庶民からは英雄視されています。八岐大蛇は長脛彦です。ウマシマジが長脛彦を討たなかったら大和朝廷は長脛彦のものになっていたでしょう。そういう意味でウマシマジも英雄なのです。

土師は野見宿祢の末裔とされており、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族です。

野見宿祢は、播磨風土記では土師弩美宿祢と書かれています。弩美をノミと読むののではなく、トミと指摘する研究者もおられます。前号でトミ(富)は長脛彦の一族と書きました。そのため以降の土師氏は大和朝廷の葬送儀礼を任されたのではないでしょうか。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木(三島)、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




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