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高御産巣日神(高木神)

更新日:3月2日

第246話


古事記では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、高木神、日本書紀では高皇産霊尊また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)、高木大神(たかぎのおおかみ)という名で登場します。大王家(天皇家)の至高神であったとされています。


天照大御神とともに葦原中国の平定を主導し、天照大御神とともに熊野の高倉下の夢に現れ、建御雷神の提案により横刀を高倉下に授ける。その後も、八咫烏を進軍の先導役として天から派遣しており、神武天皇の東征を助ける神として活躍します。


上記の記述により、私は高御産巣日神・高木神は孝元天皇(饒速日)の宰相であるウツシコオであると判断しました。高木神の子として思金神、万幡豊秋津師比売命、少彦名命、三穂津姫、、、の名前が挙げられています。思金神はウツシコオ=大綜麻杵(オオヘソキ)の別名です。ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米!

万幡豊秋津師比売命はウツシコオの姉のウツシコメ=卑弥呼です。

少彦名命は高御産巣日神の子ではなく、孝元天皇(饒速日)の子です。少彦男心命が少彦名命です。大彦の弟です。少彦名命 

三穂津姫は、ウツシコオの子で大彦(大国主)の妃になっています。三穂津姫は亀岡から嵐山の渡月橋に流れる保津川下の守り神であったことから、宗像三女神とされてしまっています。ウツシコオも三島の溝杭の一人ですから、娘が河川の守り神になったのです。三穂津姫尊(御保津姫)~亀岡


高御産巣日神という呼称が、呼称が急に高木神に変化する点も問題とされています。

急変するのは、天若日子派遣の場面からです。


天若日子は大国主神の娘下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に勧め、彼は遣わされた時に高皇産巣日神から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。


この記事以降、古事記では高御産巣日神から高木神になります。高木神が単独で登場する箇所が、天若日子反逆の場面に見られる「返し矢」説話と、神武記における八咫烏の派遣のみであることに目を向け、矢を降すこと”と“鳥”を雷の象徴と解し、高木神は本来雷を司る神であったと論じられてます。


この「返し矢」説話、タケハニヤスの乱をワンシーンを思い起こします。

彦国葺は、埴安彦(タケハニヤス)と川を挟んで対陣した。埴安彦が無道にして王室を傾ける者であると言い、武埴安彦と彦国葺とによる矢の射ち合いとなったが、まず先に放った武埴安彦の矢は当らず、次に彦国葺の放った矢が武埴安彦の胸に当たったという。


高木神は本来雷を司る神であったというのも、私がタケハニヤスはタケミカヅチとしているのに一致します。武埴安彦命は建甕槌!!

下賀茂神社、上賀茂神社の祭神は賀茂建角身命と賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で雷様の神とされています。


また、古事記では、元来太陽神として捉えられている高御産巣日神が、同じく太陽神の神格を持つ天照大御神と並列されています。古事記は類似する二神の内、高御産巣日神を「高木神」という別名を用いて格下げした形で記すことで、司令神としての主導権と天皇家の祖先神としての神格を、高御産巣日神から天照大御神へ移行させたと解されています。


天照大御神=卑弥呼(ウツシコメ=孝元天皇皇后)が死に、孝元天皇(饒速日)が死にタケハニヤスとして打ち取られたウツシコオは、高御産巣日神からワンランク下がって高木神となったのでしょう。日本書紀は神名をすべて「タカミムスヒ」の名で統一されています。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



建御雷神(タケミカヅチ)


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4件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3月23日
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3月02日
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(1) 迦毛大御神 ? 國學院大學 古典文化学事業. https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/kamonoomikami/.

(2) 阿須伎(あずき)神社 ~迦毛(かも)大御神 | ことあんじー、祈りの .... https://ameblo.jp/kira-citrine8t/entry-12546081899.html.

(3) アヂスキタカヒコネ - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%82%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%92%E3%82%B3%E3%83%8D.

(4) 迦毛大御神 「カモ」という名をもつ氏族 | 和のすてき 和の心を .... https://wanosuteki.jp/archives/1515.

(5) ⑩大国主神(おおくにぬしのかみ)系譜〈迦毛大御神(かもの .... https://shrineheritager.com/%e2%91%a9ohokuninushi-no-kami/.

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3月02日
5つ星のうち5と評価されています。

はい、**味鋤高彦根命(あじずたかひこねのみこと)**は、**賀茂建角身命(かもたけつのみみこと)**と同一の神様です。賀茂建角身命は、賀茂氏の祖先であり、賀茂神社(京都府京都市左京区)の祭神として崇拝されています。この神社は、古代から続く歴史的な神社であり、多くの参拝者が訪れています。


タケミナカタも大彦(大国主)の子です

大国主神高志沼河姫 (『先代旧事本紀』)


『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でも建御名方神の母を沼河比売とする。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。


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