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鶏冠井(かいで)町~向日市

更新日:3月29日

第266話


諏訪大社上社前宮(茅野市宮川 小町屋)は、上社本宮(現諏訪市)の東南約一・五キロ、守屋山の北麓、旧東山道あずまやまみちの伊那から諏訪への入口である杖突つえつき峠直下の小段丘上にあります。前宮のある一帯は神原(ごうばら)とよばれ、上社大祝代々の居館があった所で、大祝の職位式及び三月酉日の大御立座おおみたてまし神事をはじめ、上社の重要な神事のほとんどがこの神原で行われていました。

神殿の内間に「居給ふ神おハしますに仍て、神殿と申なつけまいらせて、それにて祈念を申、我身ハすてニ大明神の御正体と罷成候いぬ」とあり、現人神としての大祝の職位の場所である鶏冠(けいかん)社が現存します。


鶏冠(けいかん)社の名前の元となった鶏冠井(かいで)町は、京都府の向日市にあります。鶏冠とはトサカのことです。〒617-0004


第259話で書いたように大歳を祀る神社はこの向日市の向日神社(むこうじんじゃ:京都府向日市向日町北山)にあります。大歳神は向日神とされています。三輪山の山頂には日向の御子「神坐日向神社」が祀られています。


饒速日はヒムカ(日向)の御子と言われるのは、饒速日を祀る物部一族は日読みの技術を持っていたからです。太陽観測「日読み」の技術がなぜ重要かというと稲作です。日本では古くから重要な食糧作物であり、稲は太陽の光を利用して成長します。稲作において太陽の高度や日照時間は重要な要素です。日読みの技術とは太陽の観察です。

鶏も時を告げることから、稲作との関連があり、これらのことから向日市に鶏冠という地名があることは無視できません。饒速日は稲作の神


「出雲と大和のあけぼの」斎木 雲州 (著)でも、三島周辺の高槻市から京都府向日市にかけての一帯は、向(富)王家の領地のようになった。鶏冠井町からは、銅鐸の石製鋳型が見つかっていますが、その鋳型の銅鐸は、古い型式の菱環紐式で、この地方に古くから出雲族が住んでいたことを示している。とありますが、古くから住んでいたのなら、それは出雲族ではなく三島族です。

諏訪湖と言えば、真っ先に思い出されるのが建御名方神(タケミナカタ)です。

建御名方神は国譲りの際に建御雷神と決闘して敗れ、諏訪まで逃げ諏訪大社の祭神になったとされています。建御名方神は南方刀美神と表記するのが正しく、南方は大阪湾から河内湖(淀川)に入る海峡の要所です。南方刀美神(タケミナカタ)は鴨族でもトップ地に近い存在です。向日市の鶏冠井(かいで)町は南方刀美神(タケミナカタ)とゆかりのある地だと思われます。


私は南方刀美神(タケミナカタ)は三島の溝杭としてこの辺りの河川を管理・支配していたと思います。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。








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