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伊加理姫

更新日:9月20日

第445話


伊加理姫神社は 京都府舞鶴市京田にあります。現在はモリさんと呼ばれる小さなホコラで、藤森神社といい伊加理姫を祀っています。明治十二年の石柱には「伊加理姫神社」と書かれています。第443話で書いた日原神社もこの伊加理姫神社はすぐ近くです。孝昭天皇は台与:日原は目原


伊加理姫のイカリはイヒカリ(井光)ではないかと研究者たちに指摘されています。

神武天皇が吉野に到着すると泉から人が出てきました。その人は光っていて、尾がありました。それがイヒカです。日本書紀には「吉野(奈良県)に至りましし時に、人有りて井中より出でたり。光りて尾有り。天皇問ひて曰はく、「汝は何人ぞ」とのたまふ。対へて曰さく、「臣は是国神なり。名けて井光と為ふ」とまをす(申す)と書かれています。


イヒカリ(井光)とは水銀のことです。朱砂の採堀を特技とした吉野族が、水銀の堅坑(たてこう)に自然水銀が溜る現象をイヒカリ(井光・井氷鹿)と言ったのです。井光姫(いかりひめ)は吉野の各部落で祀られているそうです。参照:第63話:丹・朱を求めた天皇たち


京都府舞鶴市京田の伊加理姫は豊水富ともいうと丹後風土記残欠残欠に書いてあります。姓氏録では豊御富(トヨミトミ)とされています。となると伊加理姫は豊(トヨ:台与)でしょう。


水銀採鉱場は全国にあり、奈良県だけでなく現在も、あちこちに“いかり”という地名が井光姫の伝説とともに残っています。


伊勢の豊受大神宮の末社のひとつは、井光姫を祀り。社名は伊我理・伊賀利・伊加利といろいろに書かれています。奥吉野の井光村は碇村ともされ書いたようです。丹後地方では舞鶴と伊根町、丹後町に古くは五十里(いかり)村とがあり、白鳥街道から村へ入る鉄道を越す陸橋が「いかりだにばし」で、大川神社(京都府舞鶴市大川)の南に碇(いかり)山があります。


伊加里姫が台与である証拠としては伊加里姫神社の西200メートルに幸谷神社(こうだに)があり、手力雄神を祀っています。手力雄神はウツシコオです。参照:スサノオは天手力男神=野見宿禰


丹後旧事記には「日量いかり里。浦島太郎旧里今もいかり峠いかり山などといふ所あり村は村名替てなし一説城地は本庄村なりと伝ふ。」とありこの辺りには浦島太郎の伝説が残っています。浦島太郎はウツシコオです。参照:第111話:塩土老翁~浦島太郎2  第358話: 鶴と亀がすーべった:籠神社


丹後国与謝郡日置里筒川村は筒川嶼子(しまこ)、水江浦嶼子(うらしまこ)ともいいます。筒川村は今日の伊根町で、海岸部にあり、新井崎より経岬まで、海岸約十二キロの間が、筒川浦とよばれていました。本庄大字浜には浦島伝説の有力拠点宇良(うら)神社が鎮座し、神社の裏手を筒川が流れています。


京都府舞鶴市公文名に笠水神社(うけみずじんじゃ・かさみずじんじゃ)があり笠水神(笠水彦)と笠水日女(姫)を祭っています。二人は海部直等の祖神であるとされています。笠水彦はウツシコオと笠水姫は台与です。乎止与命=台与は海部氏=尾張氏の祖です。



                   ※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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