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四道将軍:日子坐王は台与!

更新日:10月19日

第455話 #四道将軍 #大彦命 #武渟川別命 #吉備津彦命 

      #丹波道主命 #ニギハヤヒ


四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)は、大彦命、武渟川別命、吉備津彦命、丹波道主命の4人です。日本書紀では、崇神天皇10年にそれぞれ、北陸、東海、西道、丹波に派遣されたとされています。教えを受けない者(稲作をしない者?)があれば兵を挙げて伐つようにと将軍の印綬を授けられ、翌崇神天皇11年、地方の敵を帰順させて凱旋したとされています。


古事記では、大毘古命(大彦)を高志道(こしのみち)に、建沼河別命を「東の方十二道」に、日子坐王(ひこいますのみこ:彦坐王)を旦波国にそれぞれ遣わしたとの記載があります。日子坐王は台与で間違いないでしょう。台与は丹波(但馬)竹野の竹野姫=かぐや姫=台与です。参照:hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)


四道将軍の説話は単なる神話ではなく、豊城入彦命の派遣やヤマトタケル伝説などとも関連する王族による国家平定説話の一部であり、初期ヤマト王権による支配権が地方へ伸展する様子を示唆しているとする見解があり、事実その平定ルートは、4世紀の前方後円墳の伝播地域とほぼ重なっています。


前回:大彦は台与!?? 述べたように、大彦命は、は饒速日(ニギハヤヒ)だと思われます(*下記)。武渟川別命は台与です。参照:沼河比売は小楯姫=台与


吉備津彦は、第371話:彦狭島命~吉備児島 第372話:建日方別:彦狭嶋命 2


丹波道主命は、第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)も書いたようにやはりウツシコオです。台与の物語で書いたように、ウツシコオとスサノオは丹波との関連が濃厚です。


前田晴人は四道将軍の神話自体は史実とは認めないものの、ここに描かれた「四道」を五畿七道成立以前のヤマト王権の地域区分であったとし、四道将軍はその成立を説明するために創作された説話であるとする説を唱えています。


大彦と建沼河別命をウツシコオ(内色許男命)と台与のコンビだとすれば、これまで書いてきたヤマトタケルの検証と合致します。参照:hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

しかし、前回:大彦は台与!?? では、大彦命は、饒速日(ニギハヤヒ)だとしました。


*自分で書いておいて大彦命は、饒速日というのは納得できないところがあるのですが、第448話:沼河比売は小楯姫=台与では大和猛(ヤマトタケル)を祭る神社は富山県には極めて少ないのです。この事は、ヤマトタケル=台与が東北を平定しに行く以前に富山県はすでに邪馬台国の勢力圏にあったことを示しています。平定する必要がなかったからです。

と書きました。福井県・富山県は古代より、近畿圏との関連が深いこと知られています。更に検証を重ねます。


※これまでの記事はこちらです。


関連項目: 日子坐王


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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