第194話
第191話で述べた第3代安寧天皇の后である阿久斗比売(アクト姫)は、師木縣主の娘:河俣毘売(かわばたびめ)の兄の娘のとされています。河俣毘売は、第2代綏靖天皇の后です。河俣毘売(かわばたびめ)の兄というのが、私の推測では味饒田命(うましにぎたのみこと)です。阿久斗比売と物部氏に連なる豪族「阿刀連(あとうじ)との関連を指摘する研究者はいます。阿刀氏は、先代旧事本紀によると、味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝えられています。阿久斗比売(アクト姫)と空海
そして日子湯支命:彦湯支命(ヒコユキ:木開足尼:后の宿祢)ことウツシコオの兄こそ味饒田命(うましにぎたのみこと)とされているのです。彦湯支命 - Wikipedia
日本書紀では、第3代安寧天皇の后は第192話で書いたように渟名底仲媛命です。
先代旧事本記では天日方奇日方命(あまのひがたくしひがた)の娘とされています。鴨王と天日方奇日方命は同一人物で、このブログではウツシコオです。鴨王~瀬戸内海
兄磯城を討った手柄でウズヒコ(黒速)は、磯城の土地あたえられオトシキ(弟磯城)になったわけです。兄磯城と兄弟ではありません。ウズヒコ(黒速=鴨王=弟磯城:オトシキ)は、この時点ですでに饒速日(五十:孝元天皇)の配下であった思われます。
兄磯城との戦いで手柄を立てた鴨王(ウツシコオ)は磯城(師木)に領地を貰い師木縣にもなりました。ということは河俣毘売は、ウツシコオの娘または縁者だと思われます。八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
記紀では安寧天皇は 磯城県主の黒速の館で生まれ、そのときに朝日が輝いたので磯城津彦玉手看天皇(シキツ・ヒコ・タマデミ)の名が付いたと書いてあります。黒速は、ウヅヒコの別名です。黒速=鴨王=ウツシコオです。この事により、安寧天皇もウツシコオとの関連が深いことが分かります。安寧天皇は河俣毘売の実家である黒速の館で生まれたのも納得できます。ウツシコオ(ヒコユキ)が木開足尼:后の宿祢と呼ばれるのは、天皇家に次々と后を送り込むからです。
そして安寧天皇は、ウツシコオと同世代の人物です。ウツシコオは第8代孝元天皇の宰相です。第3代天皇というのも怪しいです。おそらく孝元天皇の皇子の一人でしょう。
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宝賀寿男や村島秀次は、綏靖天皇の皇后は、日本書紀本文では事代主神の女、古事記では師木県主の祖の河俣毘売となっていることから、神武東征以前の大和在地豪族で、磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張した。ウィキペディア(Wikipedia)事代主 - Wikipedia
「師木津日子玉手見」「師木津日子」の「師木」は、「師木県主」の「師木」であり、当該部分は、師木県主との関係を色濃く示しています。
※師木(磯城)は三島です。参照:欠史八代はヤマト=三島
関連項目:弟磯城は内色許男命!
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
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大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
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卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
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八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
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<饒速日>
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星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
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孝元天皇と家族たち
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<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫