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日子坐王

更新日:5月30日

第313話


彦坐王(ひこいますのおう)は、日本書紀では「彦坐王」、古事記では「日子坐王」開化天皇の第三皇子です。


古事記では丹波派遣伝承が記されるのに対して、日本書紀では子の丹波道主命が四道将軍の一人として丹波に派遣されたとしています。古事記では、日子坐王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討ったとされています。


この玖賀耳之御笠(クガミミ)が殺害されたことにより、例のタケハニヤスの乱が勃発するのです。参照:彦国葺~タケハニヤスを射った男


彦坐王を祭る神社は、琵琶湖近くの伊香郡(いか)にあります。伊香郡余呉町の草岡神社は余呉地域開拓の祖として祭っています。参照:中臣氏~中臣烏賊津


「近淡海の御上の祝(はふり)が以ち伊都玖(いつく)、天之御影神の女、息長水依比売を娶して、生める子は、丹波比古多多須美知能宇斯王(たにはの ひこ たたすみちのうし の王)」との伝承があり、彦坐王は伊香郡の開拓の祖とされています。

天之御影神とは、琵琶湖東南部、野洲郡の三上山の神で、息長氏はその北部、伊香郡と野洲郡にはさまれた坂田群の氏族です。


1)国造本紀に「淡海の国造は日子坐王命」とあり、姓民録には「開化天皇第三王子彦坐王命」とあり、彦坐王は丹波国より淡海国造となられ余呉の庄の荒廃したるを御覧になり、当地区の開拓、殖産に多大の御盡力になり御神徳を讃え、当社に奉祀御祖神としてあまねく祟敬せらる。とあります。


ところで伊香郡といえば、思い出すのが第263話:中臣氏~中臣烏賊津 です。

伊香郡は中臣氏の出身地です。彦坐王が伊香郡を開拓する前からの中臣一族がいたはずです。


2)滋賀県守山市にある下新川(ニイカワ)神社の伝承では、崇神天皇の子である豊城入彦命は、自らまつろわぬ国びとの平定討伐に出かけられ、湖西に至り、白砂であったこの地を平定されたとあります。


1)と2)の話はよく似ています。2)の話は崇神天皇の息子の時代には、大和朝廷はすでに奈良県に移動し、天下は平定していたはずです。滋賀県の守山市は大和朝廷に服していなかったのでしょうか。


古事記には、彦坐王関係系図が詳細に記載されています。

その関係図によると、彦坐王は春日・沙本・山代・淡海・旦波ら諸豪族を血縁で結ぶ地位に位置づけられており、このことから、彦坐王の系譜は和珥氏や息長氏を中心とする畿内北部豪族らにより伝えられたとする説があるほか、そうした畿内北部における広域的な連合政権の存在の暗示が指摘されています。なお、垂仁天皇朝に見える狭穂彦王(沙本毘古王)の反乱伝承から、「崇神 - 垂仁」に対立する「彦坐王 - 狭穂彦」の皇統があったとする説もあります。参照:狭穂姫命~狭穂毘古の乱


そして私にとって一番気になるのが、伊香郡のイカイカガシコオ(伊香色雄命)イカガシコメのイカに通じる点です。


下新川神社(ニイカワ)のニイカワは、イカガシコオの子のオホニイカワとその母親、つまりウツシコオ(内色許男命)の妻は、ニイカワのヲタテ姫です。


<今回の結論>

・日子坐王が丹波に派遣されたという伝承は、丹波(京阪電車丹波橋=京都府)のクガミミを討ったいうだけの話。山崎津と玖賀耳之御笠

・丹波国より淡海国造と余呉の庄の荒廃したるを御覧になり、当地区の開拓、殖産に多大の御盡力になりというのは丹波派遣の話に真実味を持たせるための作り話、

・豊城入彦命の話も全く信用できない。存在感を示すために日子坐王の丹波派遣を真似て創作した。

・イカガシコオは日子坐王かもしれない。

・イカガシコオは中臣氏と関係が深かった可能性がある。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




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