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tootake

溝咋神社~大阪府茨木市

更新日:2023年12月30日

第187話


大阪府茨木市五十鈴町に溝咋神社はあります。祭神は、これまでこのブログで取り上げていたお馴染みの面々です。


玉櫛媛命 (たまくしひめのみこと) - 五十鈴媛命の母

媛蹈鞴五十鈴媛命 (ひめたたらいすずひめのみこと) - 神武天皇皇后

<相殿神>

溝咋耳命 (みぞくいみみのみこと) - 五十鈴媛命の祖父

天日方奇日方命 (あめのひかたくしひかたのみこと) - 五十鈴媛命の兄

速素盞鳴尊(すさのおのみこと) - 五十鈴媛命の祖

天児屋根命 (あめのこやねのみこと) - 藤原氏祖

<摂社>

事代主神社

祭神:事代主命、軻遇突知神(カグツチ)、奥津彦神、奥津比賣神、弥都波能売神(ミズハ姫)、波邇夜須毘古神(ハニヤス彦)、波邇夜須毘売神(ハニヤス姫)

事代主命は玉櫛媛命の夫神である。

<末社>

天照皇大神社 - 祭神:天照皇大神、猿田彦神、応神天皇

保食神社 - 祭神:保食神

手力雄神社 - 祭神:手力雄神

木花開耶姫命社 - 祭神:木花開耶姫神、級長戸辺神、市杵嶋姫命、菅原道真


日本書紀の神代巻では、媛蹈鞴五十鈴媛命が大三輪神の子と記すとともに、事代主が八尋熊鰐となって三島溝樴姫(玉櫛媛)のもとに通い、生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の后になったと記されています。日本書紀にも同様の記載があり、ここでは玉櫛媛は三島溝橛耳(溝咋耳命)の娘と記されています。


これらの文献を踏まえた上で、さらにの境内社には大物主神でなく事代主神が祀られていることから、事代主神を奉祀する地祇系の鴨氏と三島勢力との交流を指摘する説があります。周辺には三島鴨神社鴨神社といった神社や、鴨村・鴨林といった地名が残り、鴨氏の勢力がうかがわれます。


今回、私が指摘したいのはこの溝咋神社のすぐそばには、安威川が流れており、東雲(しののめ)という地区があります。神武天皇はここから白肩(枚方)に入ったとされています。「經 浪速之渡 而。泊 青雲之 白肩津」古事記 ※東雲は青雲と同義としています。


佐韋河は狭井川とされ、三輪山の麓を流れる川とされていますが、私は茨木市、摂津市を流れる安威川(あいがわ)だと思います。サイはsaiで、aiに音が通じます。なお五十鈴姫(御牧姫)の父親の開化天皇(大彦)の春日の皇居は率川(いさかわ)とされていますが、茨木市の春日の安威川だと思います。大阪府茨木市には、五十鈴(〒567-0000)という地名があります。五十鈴姫の母とされる玉櫛姫の玉櫛(〒567-0895)という地名と並んで存在します。にあるのでおそらく実在の人物でしょう。いさかわはisa川でsaiつまりサとイをひっくり返しただけです。


この溝咋神社の祭神だけで記紀神話が創作されたと言っても良いのではないでしょうか。

鴨氏と三島勢力との交流が、後世になって記紀神話に再構成され、出雲系の神が強調されたと考える説もあります。



<関連項目>


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



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댓글 3개

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1월 02일
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伊邪那岐神社・伊射奈岐神社・伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)は、伊邪那岐神(伊弉諾神、イザナギ)を祭神として社名に持つ神社

  • 伊射奈岐神社 (吹田市山田東) (大阪府吹田市) - 摂津国嶋下郡の式内社「伊射奈岐神社二座」の一座

  • 伊射奈岐神社 (吹田市佐井寺) (大阪府吹田市) - 同上

  • 伊弉諾神社 - 淡路国津名郡の式内社。正しくは「淡路伊弉諾神社」で、兵庫県淡路市の伊弉諾神宮の旧称

  • 伊射奈岐神社 (天理市) (奈良県天理市) - 大和国城上郡の式内社「伊射奈岐神社」

  • 伊邪那岐神社 (葛城市) (奈良県葛城市)

  • 伊弉諾神社 (生駒市) (奈良県生駒市) - 大和国添下郡の式内社「伊射奈岐神社」

  • 伊邪那岐神社 (上牧町) (奈良県北葛城郡上牧町) - 大和国葛下郡の式内社「伊射奈岐神社」

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tootake
2023년 12월 28일
별점 5점 중 5점을 주었습니다.
  • 吹田市には2つの伊射奈岐神社(佐井寺社と山田東社)があり、ともに雄略天皇23年に創建とする。佐井寺社の社伝には『貞観から延喜年間(859年 - 922年)に伊邪那美神を東北の地に遷座。これを姫宮と称し、本社を奥宮と称した』とある。一方、山田東社の社伝には『雄略天皇23年に小川谷に姫宮を創建。後に姫宮を高庭山に遷座、貞観15年に社名を五社宮に改名」とある。


社名の通り「八幡宮若宮」という意味で、多くは宇佐神宮石清水八幡宮鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請し、八幡神・応神天皇御子神である仁徳天皇(大鷦鷯尊)を祀るものである。他に、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」もあり、この場合は応神天皇が祀られている。百済寺に、、、


 明治の神仏分離までは大神神社の神宮寺,大御輪寺(だいごりんじ)で、現在は大神神社の摂社「若宮さん」として知られています。祭神の大直禰子命(おおたたねこのみこと)は大物主大神の子孫で、ほかに 少彦名命と活玉依姫命の二柱を配祀しています。


式内社の他の論社としては三島江に三島鴨神社がある。三島鴨神社は島上郡の位置にあたることから、郡域としては当社が有力視される[2]。一方で、『伊予国風土記』逸文では大山積神が「津国の御島」から伊予・伊豆に移ったと記すが、神の別称として「和多志(渡し)の神」と記すことから、河川から離れた鴨神社はこれに当たらないという指摘もある[4]。いずれにしても、現在も特定には至っていない。

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