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  • tootake

瀬織津姫~祓戸大神

第149話


第147話で述べた豊中市にある市軸稲荷神社(ちじくいなりじんじゃ)のでのおたふくさんは瀬織津比咩大神(セオリツヒメノオオカミ)とのことでした。


瀬織津比売は神道の大祓詞の中に出てくるのに神話には一切出てきません。

延喜式の「六月晦大祓の祝詞」には、瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うとあり、これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されています。


・瀬織津比売神(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

・速開都比売神(はやあきつひめ) -- 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む

・気吹戸主神(いぶきどぬし) -- 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ

・速佐須良比売神(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う


大祓詞(一部のみ表示)

「高山の末たかやまのすえ 短山の末よりひきやまのすえより

佐久那太理に落ち多岐つさくなだりにおちたぎつ

速川の瀬に坐すはやかわのせにます

瀬織津比売と云ふ神せおりつひめというかみ

大海原に持ち出でなむおおうなばらにもちいでなん

此く持ち出で往なばかくもちいでいなば

荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐すあらしおのしおのやおじのやしおじのしおのやおあいにます」


ここに出てくる内容は、祓をつかさどる神様として瀬織津姫・速開都比売・氣吹戸主・速佐須良比売という祓戸大神(はらえどのおおかみ)が、私たちの様々な罪や穢れを取り払ってくれるという意味です。しおのやおじというのは、塩土老翁(浦島太郎)のことでしょう。


瀬織津姫は、伊勢神宮の内宮の別宮に瀬織津姫がアマテラスオオミカミの荒神として祀られています。瀬織津姫が祀られていた由緒正しい神社のご祭神がアマテラスオオミカミに変わったといった重要な神様であるとみられるのにあまりに情報がないことから、かつての権力者にその存在をかき消された、封印された神様とも言われています。


瀬織津姫は饒速日の妻とする説が一部では支持されているようです。だとすると瀬織津姫は卑弥呼です。瀬織津姫が封印されたと言う話が生まれたのは、持統天皇が瀬織津姫が祀られていた神社のご祭神を瀬織津姫以外にするようにという勅令を出したと言われています。

日本の神話は事実として起きた様々な民族の征伐と言った話を神様を主役にして、大和朝廷が正当化されるように作られたという見方をすると、そんな考え方もできます。

ところでお祓いですが、私はお祓いとは崇神朝に流行ったされる疫病(コロナか?)に対する対策だったのではないかと思っています。神社というものが作られたのは、イカガシコオが、三輪山に大物主(長脛彦?)を祀ったが最初で、それは感染防止を願ったものでした。


神社に入ったらまず手洗いをするのは、そのせいでしょう。コロナ騒動で十分に思い知らされました。手をたたくのは、ハンカチがなかったため、洗った水をはじくためだと思います。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


祓戸大神(京都市・地主神社)瀬織津姫の名前もみえます。


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Nov 14, 2023
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大国主神神屋楯比売命(『古事記』)

高津姫神(『先代旧事本紀』)

配偶者玉櫛媛阿波咩命


『事代主神、三嶋溝橛耳神(みしまのみぞくひみみのかみ、陶津耳)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める子を、なづけて媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)ともうす。』とあり、事代主神は神武天皇の岳父となっている。これは『古事記』で大物主神三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売を生んだことと一致する。また『日本書紀』で三輪氏の祖の天日方奇日方命を生んだことと、『古事記』で三輪氏の祖の櫛御方命を生んだことに一致する。


大国主神多紀理毘売命配偶者天御梶日女命多伎都比古命塩冶毘古命天八現津彦命、阿遅鉏速雄命


『古事記』では、葦原中国平定において登場する。シタテルヒメの兄で、高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れた。しかし、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。

『出雲国風土記』によれば、幼い時、その泣き叫ぶ声が非常に大きかったので、静かになるまで船に乗せて八十島(日本)を巡ったり、高屋を作って梯子をかけそれを上り下りさせたりした。天御梶日女(あめのみかじひめ)との間に雨の神である多伎都比古(たきつひこ)をもうけたとしている。

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