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若御毛沼:神武天皇

更新日:8月27日

第286話


古事記によると、神武天皇は3つの名前を持っています。

若御毛沼(ワカミケヌ)、豊御毛沼(トヨミケヌ)、そして神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレヒコ)です。そして幼名は狭野(サノ)です。


サノは和泉の佐野つまり、大阪府泉佐野です。和歌山に接する地域に神武天皇の伝承を伝える古社が点々とあるそうです。「歴史と人物」2009年6月号 上垣内憲一

九州にある狭野神社も神武天皇を祭っていますが、神武天皇を祭っているというだけでアウトです。明治時代に創られた樫原神宮と同じで神武天皇(神日本磐余彦天皇:カム・ヤマト・イワレヒコ)を祭る神社などは、古代(邪馬台国の時代~平安時代)には存在しません。神武天皇は架空の人物です。イワレヒコの磐余(いわれ)は、奈良盆地桜井市中部から橿原市南東部にかけての地名です。


神武天皇の兄の一人である三毛入野命は稚三毛野命(ワカミケヌ)、御毛沼命と表記されます。若御毛沼(ワカミケヌ)と稚三毛野命(ワカミケヌ)が同一人物だとすれば、神武天皇は、三毛入野命をモデルにしてモデルにしていると思われます。


私はウガヤフキアエズは和歌山県の名草で生まれたとしています。ウガヤフキアエズのミコト

ウガヤフキアエズは、素戔嗚です。そしてその子が三毛入野命です。三毛入野は鉱山業者です。丹・朱を求めた天皇たち


上垣内憲一先生の謎の四世紀(p169)によると「紀ノ川市かつらぎ町佐野を泉佐野のつぎの根拠地として、この地域の水銀流通を一手に押さえ、次なる水銀の大産地、宇陀を神武集団が目指すときに、最も肝要なのが紀ノ川流域と上流の吉野川地域との交通の結節点にあたる奈良県五條市付近を確保することである。と書かれておられます。


カモ族の系譜によると、豊御毛沼(トヨミケヌ)の父はタケミカヅチ(建甕槌)です。

第281話では、タケミカヅチはタケハニヤスではないかという記事を書きました

タケミカヅチは国譲りによって一旦は、大彦から政権を奪い取ったのです。ですからタケミカヅチも大王(天王)に成れたはずなのです。しかし大王になったのはミマキイリヒコでした。そのあたりの検証がさらに必要です。ミマキイリヒコを大王として認めたくなかった記紀の作者は豊御毛沼(トヨミケヌ)=大田田根子(オオタタネコ)を初代天皇としたのでしょう。




※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



神武天皇



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