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菊理媛神~大目は大日(守口市)

更新日:6月19日

第115話~真舌媛は神大市比売で菊理媛神


十市御縣坐神社(とおちのみあがたにますじんじゃ)は、奈良県橿原市にある神社です。

主祭神は豊受大神、配祀は市杵島姫命で社伝では「孝霊天皇記に見える十市県主の祖の大目を祭神とする。また、大目の娘である細媛命は孝霊天皇皇后である。」と書かれています。

皇后細媛命(くわしひめのみこと/ほそひめのみこと、細比売命)は日本書紀の本文、古事記では、十市県主大目の娘。十市県主祖の真舌媛と書かれています。つまり宗像三女神の市杵島姫神(イチキシマヒメ)は真舌姫です。


三島には、「味舌」というところがあります。現在の大阪府摂津市で三島郡に属した町です。事代主神後裔氏族(カモ族:三島の溝杭)に関わる場所で、味舌の北東4.3kmに、溝咋神社が所在することから、一帯が、事代主神を属性とする水運の要衝であったことがわかります。日本書紀の孝霊紀に、后について、「一に云はく、十市県主等が祖が女真舌媛といふ」とあり、真舌媛は、摂津市の出身であると推定できます。つまり孝霊天皇=素戔嗚は、摂津市(三島)いたのです。茨木市に天王という地名があり、おそらくそこを拠点にしていた時期があるのでしょう。 問題は、味舌姫の父とされる十市県主の祖の「大目」です。記紀ではここでしか登場しませんし、そんな地名は日本中探してもありません。三島から淀川をほんの少し下った所に「大日」という地名があります。大阪府守口市です。「大目」は「大日」ではないのかと思って調べて見ました。守口市に白山神社( しらやまじんじゃ) 〒570-0003があります。御祭神は、菊理媛命・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天児屋根尊・経津主尊・武甕槌尊です。

本殿には、覆屋の中に一間社流れ造の白山大権現・春日大明神の二殿が並置されています。かつては現在の場所より北西にある御旅所の位置にあったといわれ、現在そこには 「藤之森」の石碑が建てられています。

菊理媛神、又は菊理媛命(ククリヒメ、キクリヒメ)は、加賀国の白山を始め全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と思われます。また熊野本宮大社のことを書いた玉籤集では熊野本宮大社(本宮)で菊理媛神が祀られていると記述されています。

神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になります。そこにあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒め、帰って行った、とあります。 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていません。この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされています。


菊理媛神の仲裁のおかげで、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の誕生に繋がっていきます。味舌姫は、孝霊天皇=素戔嗚の妻で、素戔嗚の両親はイザナギ、イザナミです。味舌姫は、菊理媛である可能性が出てきました。


この白山神社の近くには、飛来神社( ひらいじんじゃ:大阪府守口市)もあります。

佐太天満宮の旧御旅所で、入口に石標が残っています。御祭神は、「天之御中主神」(あまのみなかぬしのかみ)、「菅原道真公」。

「天之御中主神」とは天地初発の時最初に高天原に出現された神です。

私は天之御中主神は素戔嗚のことだと思います。(後述予定


佐太天満宮の宝永四年(1707年)の古文書によると「往古より佐太天満宮の夏祭りには境内壱の鳥居の浜にて渡御祭をしたい」と大阪番所に届けた記録があります。従って、宝永四年当時には既に斎場が整い、佐太天満宮の御旅所であったことになります。

この辺りには、住吉大社神代記の長柄船瀬本紀にある、遣唐使船に荷物が積み込まれたという、長柄船瀬(港津)の地にがあったとされています。水路の守り神である味舌姫=市杵島姫神(イチキシマヒメ)がこの御旅所に祭られていても不思議ではありません。


私が住んでいる枚方市にも蹉跎(さだ)神社があります。祭神は、菅原道真です。菅原氏は、天穂日命の子孫です。この蹉跎(さだ)神社と猿田彦との関係は不明ですが、”さだ”は猿田彦とされています。


今回の結論として、菊理媛神は味舌姫(真下)というのは断定できませんが可能性は十分です。何故、白山の神になったかは、下記(追記)参照。


十市(イチ)県主は、もとは春日県主で春日は茨木市(三島)です。味舌も三島です。市(イチ)杵島姫神=真舌姫だとすると、イチというのは真下姫のことかもしれません。


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<2023.10.13追記>


白山は泰澄により開山されました。泰澄(たいちょう)は奈良時代の修験道の僧。越(こし)の大徳と称された。白山は現在は、菊理姫ですが、当初はイザナミが中心的な祭神でした。白山は活火山で、火炎の世界の女王イザナミと重ねていると思われます。この僧である泰澄は、越前の足羽郡の神職の家に生まれました。この地の足羽神社は子供を水で守る三柱を奉ります。イザナミの火と、水と言う具合に対照的な神の形が存在し、泰澄は、この災いの火の神を水で鎮めるべく白山を開山したと思われます。京都愛宕山も泰澄との関連で消防の聖地として、火の神イザナミを鎮めるために今も消防士は訪れます。泰澄が白山を開山したのは、当時大流行した天然痘を鎮めるためだと言われています。


牧尾一彦著「邪馬台国と神武天皇」p462に「和州五郡神社神名帳大略注解所の十市縣主系譜に、十市縣主の祖は大日彦の娘である。」と書いてありました。私の推論は正しかったようです。大目は大日です。


イチというのは真下姫のことかもしれません。←これも正解でした。

素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)を娶ったと古事記に書いてありました。宇迦之御魂神(ウカノミタマ)は、饒速日の妹です。

味舌姫は、菊理媛で間違いないです。


◎菊の節句の前日を、九九隣(くくり)の日といいます。



<関連項目>


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



菊理媛


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