第105話
前回述べた神代三陵「筑紫日向可愛之山陵」・「日向高屋山上陵」・「日向吾平山上陵」ですべて鹿児島県ですが、日本書紀では場所のことは書いてありません。
この3陵が、治定されたのは明治7年(1874年)です。神武天皇が畝傍橿原宮を置いたとされる地に橿原神宮を創建したのは明治23年(1890年)です。
ニニギ、ホホデミ、ウガヤフキアエズ、それに神武天皇はすべて架空の人物です。記紀により創作されたのです。
そして、筑紫国の名前が現れるのは、どんなに早くても西暦280年です。卑弥呼の生きた時代以前は北九州は筑紫とは呼ばれていませんでした。筑紫も日向という地名はありませんでした。 720年に完成した日本書紀では、九州を筑紫洲(つくしのしま)と表記しています。筑紫国・豊国・肥国・熊襲国の四区分に観念されたのは5、6世紀です。
茨木市にある饒速日が天下った場所(生まれた場所)にある新屋坐天照御魂神社は福井神社とも呼ばれています。福井は「吹く」ふいごで高熱にするための言葉です。近くには東奈良遺跡があり、銅鏡、銅鐸が盛んに作られていました。茨木市のお隣の吹田市(すいた)の吹もふいごで吹くということから来ています。
古代史研究家の大和岩男氏は福井(茨木市)の天照御魂神社は、三島の重要な神社で太陽祭祀に関わっており、この神社を通る南北線に対してそれぞれ東方へ30度・45度・60度の位置にある天岩門別神社は30度、溝杭神社(茨木神社内)は45度、西川原にある天照御魂神社は60度です。饒速日を祀る天照神社はまさに太陽信仰の祭祀場だったのです。
日向の地名はここから生まれたのでしょう。
神代三陵は、明治になって政権を握った鹿児島の士族がを作らせたと思われます。これには反対する人もいて日本書紀は720年にウガヤフキアエズが日向国(宮崎県)で没した旨を記録していることなどから、本来の神代三陵の場所は、宮崎県日南市宮浦の鵜戸神宮の周辺であるとしていまだに論争の対象となっています。
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<追記>
鹿児島県の姶良(あいら)市があります。姶良郡(現在霧島市)の山ヶ野鉱山では、金、銀、それに朱が採掘されています。神武天皇の九州での妻は阿比良姫(アヒラ姫)です。
饒速日の最初の高屋の阿波良姫(アハラ姫)と名前が似ています。私の考えでは神武=饒速日ですから、高屋の阿波良姫と同一人物と考えられなくもありません。
霧島は天孫降臨の伝承地の高千穂の所在地ともされていますから、今後の考察が必要でしょう。
※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
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