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大彦~メスリ山古墳: 桜井市

更新日:3月5日

第58話


大彦と大国主についてもう少し書いておきましょう。


大国主の名前は、いくつかあります。

・大穴牟遅神(オオナムチ)は「偉大な鉄穴の神, すなわち産鉄の神」で葦原中国(大和:邪馬台国)をおさめ始めた時の名前です。

 オオナムチは大穴持ち=鉱山をいくつも持っているの意味

・大国主神は、大和(邪馬台国)をほぼ手中に収めたときの名前。

・八千矛神は、高志(越:こし)国を服属させ同国の沼河比売(ヌナカワヒメ)と結婚した時の名前~軍人としての名前


ウツシコオ(思金)に乗っ取られるまでは、大和(邪馬台国)は大国主=大彦が支配していたと思います。国譲りで、その地位を奪い取られたのです。


大彦の、有名な話としては、四道将軍です(日本書記)。


四道将軍は、下記の四人です。

大彦命(オオヒコ):孝元天皇の子

武渟川別命(タケヌナカワ):大彦の子 孝元天皇の孫

吉備津彦命(キビツヒコ):孝霊天皇の子、桃太郎

丹波道主命:???  


この四人は崇神天皇の命令で、全国に派遣されたのですが、多くの研究者は疑問に思っているようです。私もこの話はでっち上げだと思います。


大彦命を高志に派遣:高志(越:こし)の国の沼河比売(ヌナカワヒメ)と結婚した話でしょう。これは大彦ではなく大国主の話です。やはり大彦=大国主です。

武渟川別命を東の方十二道に派遣:大彦の北陸道遠征 (hidemaru3375.com)

吉備津彦(桃太郎):古事記では記載なし。崇神は孝霊天皇のひひ孫(夜叉孫)です。孝霊天皇の子に命令を下したということになります。

丹波道主命(たんばみちぬしのみこと):クガミミを討った時の話のことと思われます。


これ以上は検証できませんので、私が大彦の墳墓と思われる古墳を紹介します。


メスリ山古墳~ 奈良県桜井市大字高田字メスリ


この古墳は絶大な権勢を誇った首長の墳墓であ ると考えらています。

副葬品は、玉石製品では翡翠の勾玉、碧玉の管玉、貝輪を真似た 石製の腕輪類、ミニチュア化した石製の椅子、櫛、内行花文鏡・三角縁神獣鏡の破片、石釧(いしくろ)・鍬形石・車輪石・椅子形石製品・櫛形石製品、石製 合子(ごうす)などと玉類などは大国主の妻の沼河比売(ヌナカワヒメ)との関連を思わせます。碧玉は新潟県の糸魚川の姫川、古代名は

奴奈川でしか産出しません。姫川の姫は沼河比売(ヌナカワヒメ)のことでしょう。


武具は、212本の茎式鉄矛、これらの鉄矛は、いずれも長柄をつけていたと想像され集団戦に用いられる武器です。他にも、236本の銅鏃、50本の石鏃、鉄弓1本(長さ182センチメートル、弦も鉄製)、鉄製矢5本(長さ80センチメートル)、漆 塗り盾。

鉄剣、鉄 刀それぞれ1本。さらに、斧(鉄斧14)、手鎌(19)、鑿、やりがんな(51)、錐、刀子、鋸などの農耕具。玉状に似た石製品。~まさに八千矛神です。


被葬者として、上垣内憲一先生も大彦の墳墓とされておられます。

私の考えと合致しました。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



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