第116話~スサノオは天之御中主神
6月から始めたこのプログも100回を超えました。日本書紀、古事記になどには無縁の私が、伊加賀小学校の名前に興味を覚えて調べ始めすでに5か月!。伊加賀小学校からイカガシコオにたどりつき、少しづつ分かってきたことがあります。記紀には、新約聖書のQ資料(下記)のような元になった文書が存在した筈です。古事記と日本書紀は、それぞれそのQ資料的な文書を元に、独自の解釈を加え書かれたのものなのです。
そしてその元資料に登場する神話箇所の人物のほとんどは孝元天皇の時代に実在した人物です(後日解説予定)。そして物部氏の記述は詳しく、中臣氏の記述はほとんどありません。忌部氏、穂積氏、鴨族、尾張氏、安曇族、磯城の縣主などいろんな部族が登場しますが、すべて和歌山県の名草のヒコサチ(ヒコユキ)に繋がっています。
天地開闢の時、天之御中主神(あめのみなかぬし)・高御産巣日神(たかみむすび)・神産巣日神(かみむすひ)の三神が高天原に出現します。むすひは「産霊」と書かれ生産・生成を意味する言葉です。記紀では、高御産巣日神(タカミムスビ)の記述が多く、神産巣日神(カミムスヒ)の記述は少なく、天之御中主神については皆無と言ってよいくらいです。
平安時代の『延喜式神名帳』には天之御中主神を祀る神社の名は記載されておらず、信仰の形跡は確認できないとされています。ところが前回で、飛来神社( ひらいじんじゃ:大阪府守口市)で御祭神は、天之御中主神が出てきました。とっさに私は天之御中主神は素戔嗚のことだと分かりました。守口市の神社に祭られている菊理媛神(スサノオの妻=真舌姫?)は、イザナギ、イザナミとそして素盞鳴尊と関係していたことが分かります。天照(アマテラス)はウツシコメでイザナギ、イザナミとは関係ありません。イザナギ、イザナミはスサノオの両親です。
記紀の元資料を書いた人物は、高御産巣日神(タカミムスヒ)の近くいた人なのです。
タカミムスヒはウツシコオと、このプログでは何回も書いて来ました。ウツシコオは孝元天皇の宰相、ウツシコメ(卑弥呼)の弟です。カミムスヒは孝元天皇で饒速日です。饒速日の親は素戔嗚(スサノオ)です。天之御中主神は、天地開闢の時に高天原に、最初に現れた神です。高天原は大和朝廷(邪馬台国)そのものです。スサノオがその基礎を作ったのです。そして、カミムスヒ(饒速日)とタカミムスヒ(ウツシコメ)が大和(邪馬台国)を発展させたのです。カミムスヒ(饒速日)とタカミムスヒ(ウツシコメ)は同時代の人物でライバル同士でもあります。
古事記で語られる神産巣日神(カミムスヒ)は高天原(大阪府交野市)に座して出雲系(出雲は地名ではありあません)の神々(大国主=大彦、少名彦、事代主)を援助する祖神的存在であり、他の神々からは「御祖(みおや)」と呼ばれています。日本書紀では出雲系の神々が語られないため、カミムスビはタカミムスビの対偶神として存在するのみで特にエピソードはありません。大和朝廷の実権を握る過程でのタカミムスヒ(ウツシコオ)のライバルは饒速日(孝元天皇)の子で次期天皇候補の大彦(大国主)です。
記紀の元資料を書いたのは、伊加賀小学校のイカガシコオではないでしょうか。イカガシコオは、ウツシコオの長男です。イカガシコオがQ資料的なものを書いた時には、スサノオはすでに亡くなっており、会ったこともありません。イカガシコオとってスサノオは噂で聞いたことがあるくらいの存在です。カミムスヒ(饒速日)は、父のライバルで優れた人物であったことはよく知っていましたがあまり書きたくなかったのでしょう。
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<Q資料>
いくつかある福音書(新約聖書)の解読を解読すると、イエスの新たな歴史像がみえてくるそうです。1949年以降に発見された死海文書の研究がすすみ、半世紀にわたる新約聖書学の蓄積がそれと手を結んだ成果です。その研究の流れに二つの注目すべき特色がみられます。一つは、聖書の奇蹟物語の中に歴史的事実が隠されているとする解読法です。もう一つが、福音書(新約聖書)の内容を古層と新層に分け、前者に登場する歴史的イエス像と後者に姿をあらわす神話的なイエス像とを区別する解読法です。
四福音書のうち、とくにマタイ伝とルカ伝に共通する古層の伝承群に着目し、それをQ資料と呼んで原イエスの肖像を抽出しようとする試みがあります。Q資料の中から最古層を示す「語録福音書」の部分と、のちの発展を示す「物語福音書」の部分をあぶりだすと、その結果、前者の「語録福音書」資料にもとづいて再現されたイエス像は、これまでの奇蹟物語に含まれていた終末論的なイエス像とは似ても似つかない、一個の反俗的な哲人の風貌をもった人物としてわれわれの前にあらわれるのだそうです。
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<後記:2024.4.25>
ウツシコオの名前・別名がたくさんあるのは、記紀の元資料を書いたのがウツシコオの子のイカガシコオ(伊香色雄命)だからです。イカガシコオ(伊香色雄命)は、本来は父親であるウツシコオ一人の記録(一代記)を書き残しておきたかっただけなのです。
イカガシコオの記録はかなりしっかりしたものだったのです。邪馬台国の時代は貴族であっても文字をかける人物はほとんどおらずイカガシコオの記録は貴重なものでした。
そして一種の天才だったウツシコオは日本各地で様々な活躍をしていました。
舟の操作、外国語、外交術、科学、医学にも精通していました筈です。
<関連項目>
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
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