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根の国  ~島根、鳥取

更新日:2月27日

第45話


1984年、出雲西部の荒神谷遺跡(こうじんだに)遺跡から銅剣358本と銅鐸6個,銅矛16本が出土しました。銅鐸については、同形式の鋳型の分布からみて近畿産とする説が有力です。全部が畿内製造であるとはされていませんが、二号銅鐸が京都市右京区梅ヶ畑遺跡出土の四号銅鐸と同笵であることが判明しています。

また、1996年には、加茂町(現雲南市)岩倉の丘から一か所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見されました。銅鐸は、畿内南部の工人集団製作の横型流水文と畿内北部の工人集団製作の縦型流水文様の2系列がありますが、遺跡出土の流水文銅鐸9口は、全て横型流水文銅鐸であるので、畿内の工人集団が製作したものと考えられています。

二つの遺跡は、約3kmしか離れておらず、両遺跡から出土した銅鐸に共通して「×」印の刻印があることから、両遺跡の関係性が注目されています。


「出雲国風 土記」の大原郡神原(おおのこおりかむはら)の郷の段に「天の下造らしし大神の御財(おおかみのみた から)を積み置き給ひし処なり」とあることから、の場所は大国主(オオクニヌシ)が神宝を埋めた場所と想定されています。


これらの、遺跡は道建設工事中に発見されたことからも分かるように、何でもないところに穴を掘って埋めたのです。ただし発見された場所は昔から神庭と呼ばれていました。大和(邪馬台国)からわざわざ持ってきて捨てたのだと思います。この辺りは、人が住んでいた痕跡がなく遺跡など出るはずがないのです。だから考古学者驚き、出雲神話に裏付けがないと首をかしげていた研究者は、小躍りして喜びました。


崇神朝での大規模の疫病の発生、大国主、事代主、そしてウマシマジといった物部のトップの失脚と銅剣・銅鐸の廃棄は関連した出来事かもしれません。銅鐸・銅剣文化は物部氏と深い関わりがあるはずです。突然その文化を廃棄し新たに物部のトップとなったのはイカガシコオです。いきなり神道の神社を創設します。大神神社、石上神社、大和神社のみならず各地の神社にはイカガシコオの痕跡が残っています。


ウツシコオの策略にかかった、大国主スクナ彦(鳥取氏の祖)、そしてウマシマジは、そろって根の国に行き晩年を過ごしたようです。


大国主の配偶神の中に、須勢理毘売命、八上比売、多紀理毘売命、神屋楯比売命(三島の溝杭=事代主の母)にまじって鳥取神の名前あります。もう一花咲かせたのでしょうか?


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Oct 23
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山奥の田舎町「糸守町」に住む女子高校生。

幼少期にを亡くし、かつて神社の神官だった婿養子のが家族を省みない性格に豹変。政界進出したことで、あまり父娘の仲は良好ではない模様。

現在は祖母妹の四葉と暮らしている。


『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。


弥都波能売神の名義は、ミツハのミを水と解して、水つ早、あるいは水つ走の意と取り、灌漑の水の源を司る神とする説や、灌漑用の水を走らせる女神とする説、ミヅハナと取り(『万葉集』19・4217に「始水(はなみづ)」とあり、出水の先端の意とされる)、出始めの水の女の意で、火の暴威鎮圧と灌漑用水の神格を兼ねるとする説、水際(みつきは)の転で、水害のない清泉を表象したやさしい女神として崇拝された神とする説がある。また、水つ蛇(蛇の古語「はは」)の意で、ミヅチ(蛟)と同類の神とする説もある。

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