第370話
台与・臺與(とよ)または壱与・壹與(いよ)は、魏志倭人伝に記される邪馬台国を都とした倭の女王卑弥呼の宗女です。卑弥呼の後継の男王の次に、13歳で女王になり乱れた邪馬台国をまとめたとされています。
小豊神社(愛知県一宮市)の上知我麻神社(熱田区・熱田神宮境内)に祭られているオトヨ(乎止与命)がその”とよ”ではないかとする説があります。
オトヨの子の建稲種命(タケイナダネ)は尾張国造を継ぎ、尾張氏の当主で、初代の尾張国造ともされる人物です。古事記、日本書紀に記載はなく、先代旧事本紀の国造本紀などに名が見られます。小止与命や小豊命とも表記されます。
熱田神宮の縁起書などによると、日本武尊(ヤマトタケル)の東征に副将軍として従ったのが、オトヨの息子の建稲種命(タケイナダネ)で、オトヨの娘でタケイナダネの妹の宮簀媛/美夜受比売(ミヤズヒメ)が日本武尊・大和猛(ヤマトタケル)の妃になったとされていまする。
オトヨ(乎止与命)は、丹後国一宮の籠神社(このじんじゃ)の海部氏(あまべ)や摂津国一宮の住吉大社の津守氏(つもり)などの尾張氏の一族とされています。宮簀媛は「父の乎止与命は天火明命(アメノホアカリ)または綿積豊玉彦命(ワタツミトヨタマヒコ)の子孫」という記述があります。ワタツミ一族は安曇族、海部氏です。祖の安曇磯良はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。参照:阿曇磯良は天児屋根命
京都府城陽市水主宮馬場にある水主神社(みずしじんじゃ)の境内摂社の衣縫神社の祭神は豊組野命は女神で、豊の名からオトヨ(乎止与命)と同一人物と思われます。この水主神社のある場所は木津川の近くでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)
の拠点地です。水主神社の祭神は、10柱とも15柱ともされています。
天照御魂神、天香語山命、天村雲神、天忍男神、建額赤命、建筒草命、建多背命、建諸隅命、倭得玉彦命、山背大國魂命、天照御魂神、天香語山命、山背大国魂命、大縫命、小縫命
このうち大縫命、小縫命は女神で、それ以外の神はすべてウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)だと私は思います。例えば山背大國魂命はひょっとここと天之御影神です。ひょっとこ:火男~天之御影命 建額赤命は天忍男命と同一人物です。建筒草命は彌彦神社でも祭られています。やはり天忍男命と同一人物です。記紀登場する人物(男)のほとんどがウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
日本書紀によると尾張氏は、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、天忍人命(天忍男命)から始まるとされ、元々は、枚方・交野辺りにいた片野物部*でしたが、美濃・飛騨などに居住の後、乎止与命のときに尾張国造となったとされています。日本武尊(やまとたけるのみこと)の時代には、拠点を熱田の南に移しています。天火明命は、饒速日ともされていますが、やはりウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。大阪府寝屋川市にも熱田神社(寝屋川市 太秦中町)があります。秦氏との関連のある地です。秦氏~大阪府寝屋川市・太秦
*大阪府交野市倉治は高倉下(たかくらじ=天香山命:尾張氏の祖)の屋敷があった場所と思われます。高津姫 ~岩船街道
海部氏の系図などから検証するとオトヨ(乎止与命)は日本得魂命の子の建諸隅命の子供で天豊姫命とあり、魏志倭人伝に記される倭国の女王に擁立された「台与」である可能性は非常に高いです。尾張氏の当主で、初代の尾張国造ともされていることから、一時期は大和朝廷(邪馬台国)の大王であったようです。記紀にはオトヨ(乎止与命)も記事は全く無く、万世一系の概念からこの女帝の存在を隠したのだと思います。
小豊神社のある愛知県一宮市と豊田市は少し離れていますが、そんなに遠い距離ではありません、トヨタ自動車があるから挙母市(ころもし)から豊田市になった(1959年)と思っていましたが、トヨの国だから豊田(とよだ)というのは、豊橋市、豊明市、豊根村など、今も”トヨ”の地名が多く残っていることからも分かります。
日本武尊・大和猛(ヤマトタケル)の妃になったという逸話は、記紀の内容を受けて尾張国風土記の編纂者たちが忖度した上で話を盛って尾張国風土記に記した可能性があるという説も有ります。686年に尾張国ではヤマトタケルゆかりの地に神社を10社建てており、同年には熱田社の大改築が行われていることからしても、ヤマトタケルの物語制作というのは単に歴史書の記述にとどまらない国家的な事業だったと考えられます。
上知我麻神社では、乎止與命は知恵の神様として「知恵の文殊もんじゅさま」と呼ばれており、境内には合格祈願や学業成就の絵馬が多く奉納されています。
参考にしたサイト:オトヨ《乎止与命》 | 名古屋神社ガイド (jinja.nagoya)
関連項目:お多福さんと五十鈴姫
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
これはあくまで「倭国」の女性顔グラで、 特別「台与」だけのものではないんだけどね。 台与(とよ) 壱与ともある。中国の歴史書によって「漢字」が違い、またその「漢字」も現代のもの(台与・... | 古装, 三国志, 中国の歴史 (pinterest.jp)
古代海人族たちを結ぶ糸(1)海部氏の系図 - SOMoSOMo (hateblo.jp)
伊予神社 - Wikipedia
大山咋命と和霊神を祀る。
常道仲国造の祖「建借間」 | 南風 < NANPU > (isobedas2.sakura.ne.jp)
https://isobedas2.sakura.ne.jp/wp/sashima/hitachi-naka/
彦狭嶋命、越智氏 – 古代史俯瞰 by tokyoblog (tokyox.sakura.ne.jp)
葉江(ハエ)!~磯城県主 (hidemaru3375.com)
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全ての道は三島に通じる。
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大彦
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大彦の北陸道遠征
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<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
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