第297話
ウツシコオ(内色許男命)の名前(別名)が回を重ねるごとに増えてしまいました。
ヒコユキからウツシコオへでまとめたつもりでしたが、まだまだどんどん増えます。
塩釜神社では、塩釜六所明神或曰・猿田彦・事勝國勝・塩土老翁・岐神・興玉命・太田命:六座同体異名神也」とあり、ここだけで6つも名前が増えました。
ヒコサチ、大綜麻杵(オオヘソキ)、鴨王、黒速、オトシキ
宇豆比古、椎根津彦
思兼神、高木神、高御産巣日神
神八耳命、豊御気主命、大物主、河内青玉繋
事代主、天日方奇日方命、三島の溝杭、タケツノミ(賀茂建角身命)=ヤタガラス
三毛入野、長脛彦=登美毘古、
もうええ加減にせえ!と言われそうなので、言い訳を考えました。
ウツシコオの名前・別名がたくさんあるのは、記紀の元資料を書いたのがウツシコオの子のイカガシコオ(伊香色雄命)だからです。イカガシコオ(伊香色雄命)は、本来は父親であるウツシコオ一人の記録(一代記)を書き残しておきたかっただけなのです。古事記・日本書紀とQ資料
イカガシコオの記録はかなりしっかりしたものだったのです。邪馬台国の時代は貴族であっても文字をかける人物はほとんどおらずイカガシコオの記録は貴重なものでした。
そして一種の天才だったウツシコオは日本各地で様々な活躍をしていました。
舟の操作、外国語、外交術、科学、医学にも精通していました筈です。
ウツシコオの母親はキサガイヒメ(𧏛貝比売)です。出雲国風土記ではキサガイヒメ命は佐太大神(猿田彦)を産んだとされています。キサガイヒメはウツシコオの母!
キサガイヒメは大国主神の治療に従事したとされています。キサガイヒメは渡来人で医学・薬学・科学の知識を豊富にもっていたと思われます。キサガイヒメ、ウツシコオは呉の勝(スグリ)の直系だった筈です。徐福伝説と「呉の勝」
他にちゃんとした記録が他になかったため、記紀の作者はウツシコオの事績を別の人物の記録として書き直したのです。そして、神武天皇なる架空の人物をつけたし、話を複雑にしてしまったのです。
さらに大阪湾と河内湖の要衝である南方の重要性が分かってきたことから、南方刀美神(建御名方神:タケミナカタ)もウツシコオではないかと検証を始めようと思っています。ウツシコオの別名はまだまだ増えそうです。
◎ウツシコオのウツ・ウチはウツの転訛にて、内、打は、氏、宇治、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じ。古事記に木国造の祖 宇豆比古(うづひこ)と見え、景行紀三年条には紀直の遠祖 菟道彦(うぢひこ)と見ゆ。
※宇治は巨椋池全体をさします。参照:邪馬台国は巨椋池
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
モーセ
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