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tootake

カモ族は水運業者

更新日:4月11日

第25話


カモという地名があちこちにあります。加茂、鴨、賀茂、などと書きます。

京阪電車の出町柳駅より北を流れている賀茂川が、ここで高野川と合流すると、鴨川に表記が変わります。別に深い意味はありません。古代は漢字がなかったのですから、、、上賀茂神社と下鴨神社の表記を区別するようになってから、上流を賀茂川、下流を鴨川と区別したようです。

下賀神社の祭神は、西殿が賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)で、東殿はこのプログで何回か登場している玉依媛命(たまよりひめのみこと。三島の溝杭の娘で大物主の妻、神武天皇(初代天皇)の義母として知られれています。

上賀茂神社の主祭神 - 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)詳しいことは省きますが、ようするカモ族の一族です。

前に、木津川と保津川は古代の高速道路という記事を書きました。木津川の史跡 恭仁宮跡や 銭司やの近くにも加茂とい地名があります。

亀岡の出雲大神宮の祭神も三穂津姫(みほつひめ)こと三島の玉櫛姫でしたね。


ところで邪馬台国と神武天皇の著者 牧尾一彦氏はカモ族の后の出身地をたどっていくと面白いことが分かるそうです。

 すなわち時代ごとに、日向→出雲→紀伊(木の国:紀ノ國:狗奴国)→ヤマト(三島=邪馬台国)とカモ族が移動してきた痕跡が分かるそうです。紀伊(木の国:紀ノ國:狗奴国)→ヤマト(三島=邪馬台国)は私の挿入です。牧尾一彦氏は決してそんなことは言っておられません。

一方おなじみ「謎の四世紀」の著者 上垣内憲一先生は、神武天皇(磐余彦)の道筋を鉱物(水銀、鉄など)を求めての行為だとされておられます。

佐野(サノ)という地名が各地があり、神武天皇(幼名サノ)が辿った道と鉱物の産出地との関連を調べてみると神武東征の経路と一致するのだそうです。

出発点は、淡路島の佐野で垣内遺跡の近く、次に泉佐野でここでは鉄、紀伊(木の国:狗奴国)に入って名草は名草トベを殺したことで知られるところで、ここには水銀朱を産する太田黒田遺跡があります。紀の川を遡り丹宇生都姫神社がありもこの地では丹敷トベを殺しており、ここも水銀朱が産出する場所でした。狭野(サノ)という地名もあります。

このように神武天皇のヤマトへの進入路として、その後、那賀郡、かつらぎ町佐野、五條市荒坂という経路がうかびあがってくるだそうです。


今回明らかにしたかったのは、大和(邪馬台国)は、軍事、祭事を司どる物部氏と鉱物を含むさまざまの物資の調達と輸送を担っていたのがカモ族で成り立っていたということです。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。





邪馬台国は下図


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2 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Dec 05, 2023
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河俣毘売(かままたびめ、かわばたびめ)は、綏靖天皇皇后安寧天皇の母とされる人物。

古事記』では河俣毘売、『日本書紀』第1の一書では川派媛といい、師木県主(磯城県主)の祖先である家系の出身。師木県主波延(安寧天皇皇后、阿久斗比売の父)の妹。

なお、『日本書紀』本文と第2の一書ではカワマタビメは登場せず、本文では五十鈴依媛命、第2の一では春日県主大日諸の娘である糸織媛が綏靖天皇の皇后とされる。


カワマタ姫=三穂津姫=玉櫛姫??


観松彦香殖稲尊(孝昭天皇

武石彦奇友背命→高石

渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)は、安寧天皇皇后息石耳命懿徳天皇磯城津彦命らの生母。→高石 小金塚古墳


大日本彦耜友天皇(懿徳天皇)の皇子。母は息石耳命の娘の天豊津媛命(『日本書紀』)。兄弟として、同母弟に武石彦奇友背命(多芸志比古命)がいる。父帝が崩御した翌々年の1月に即位。同年7月、掖上池心宮(わきがみのいけごころのみや)に都を移す。→池の宮=ミマキ入彦


即位29年、尾張連祖の瀛津世襲の妹の世襲足媛を皇后として天足彦国押人命日本足彦国押人尊(後の孝安天皇)を得た。即位83年、崩御。

  • 観松彦香殖稲天皇(みまつ・ひこ・かえしね・のすめらみこと) - 『日本書紀』

  • 御真津日子訶恵志泥命(みまつ・ひこ・かえしね・のみこと) - 『古事記』

『日本書紀』によると、推古天皇21年(613年)11月に「掖上池」が造られたとされています1. ただし、この池が掖上池心宮の宮名の由来であったとすれば、宮の語り出しが推古朝の造池以後になると指摘されています2.

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tootake
Oct 14, 2023
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