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スサノオのキーワードは角と竹と、、

更新日:7月24日

第388話


ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王を意味するキーワード(隠語)は、いくつもあります。


◎角~タケツノミ(身命)には角が付いています。参照:建角身命もウツシコオ

 ・鹿は角からの連想で春日大社の守り神は鹿です。春日神社は、藤原氏=中臣氏=ウツシコオ(スサノオ)です。参照:天児屋命はウツシコオ

志賀海神社(しかうみじんじゃ;福岡県福岡市東区志賀島)の境内の鹿角堂(ろっかくどう)では、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されています。参照:君が代(1)~志賀海神社

宇都宮明神では狩人が獲物の鹿の首を祭の供え物として奉納していたということです。

 ・牛、京都八坂神社ではスサノオ=ウツシコオは牛頭天王として祭られています。

 頭に角が生えた人=ツヌガアラシヒト=アメノヒボコはウツシコオです。

 牛鹿臣はウツシコオ! おそらくウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は戦の時、角(ツノ)のついた兜をかぶっていたのでしょう。


◎建:タケ~タケミカズチ、タケミナカタ、タケハニヤス、タケツノミ、武内宿祢(タケノウチノスクネ)これらは、すべてスサノオ=ウツシコオです。

 また建(タケ)は竹、笹(ササ)でもあります。エビス(恵比寿:えべっさん)は笹をもっています。参照:蛭子(ひるこ)もウツシコオ

孝霊天皇=スサノオ=ウツシコオを祭る楽楽福神社(ささふくじんじゃ)の“ささふく”という名前の由来は、“砂”即ち砂鉄をたたら吹きで製鉄することを意味するとされますが、ささは笹からの連想でしょう。楽楽福は笹福です。


◎鳥~鴨=八咫烏は鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)で鴨はスサノオ=ウツシコオを表しています。各地にある加茂、賀茂という地名もカモ族がいた所です。

 鶴はスサノオ=ウツシコオです。鶴は、浦島太郎のことで、最後に白髪のお爺さんになります。実は、この白髪を「鶴髪(カクハツ)」と言いスサノオ=ウツシコオを表しています。各地にある白髭神社の祭神は猿田彦です。猿田彦はスサノオ=ウツシコオです。

東京の葛飾区にある白髭神社の祭神も猿田彦命、大己貴命、建御名方命でこれら三人はスサノオ=ウツシコオです。

◎その他

 星:妙見=北辰の神はスサノオ=ウツシコオです

 兎:猿丸幻想(3)~宇都宮は兎の都 で書いたように兎は内里(ウツシコオの拠点)です。大国主(スサノオ=ウツシコオ)が兎を助けるのも、ここからの連想です。

 五十:五十猛(イタケル)、彦五(十)瀬(ヒコイツセ)、活目入彦五十狭茅天皇(垂仁天皇)、彦五十狭芹彦命、 、、、

 五十はイソ(磯=渚)でウガヤフキアエズのミコトのことです。伊勢もイソです。

・垂らし(帯:タラシ)、穂、日(火)、櫛(クシ:奇)、忍などもウツシコオ=スサノオの隠語だと思われます。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



春日鹿曼荼羅図(かすがしかまんだらず)


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
7月24日
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大己貴。 ヤシマシノミ (八島士奴美) のオホナムチ。 


サタ大神日隈君カル君顕国玉田中神(田和守/神)。 


幸魂 (先神霊・先霊)。人の上位神霊。親霊。オーバーソウル。過去世の霊。守護霊。  

■「さいたま(埼玉)」は「さきたま(先霊)」の訛ったもので、大宮 (氷川神社) の地を意味すると推測する。


日高見陸奥  和歌山県日高町


日高見国

日高見国(ひたかみのくに/ひだかみのくに)は、日本古代において、大和または蝦夷の地を美化して用いた語。『大祓詞』では「大倭日高見国」として大和を指すが、『日本書紀』景行紀や『常陸国風土記』では蝦夷の地を指し大和から見た東方の辺境の地域のこと。

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釈日本紀』は、日高見国が大祓の祝詞のいう神武東征以前の大和であり、『日本書紀』景行紀や『常陸国風土記』での日本武尊東征時の常陸国であることについて、平安時代日本紀講筵の「公望私記」を引用し、「四望高遠之地、可謂日高見国歟、指似不可言一処之謂耳(四方を望める高台の地で、汎用性のある語)」としているが、この解釈については古来より様々に論じられている[1][2][3]

例えば、津田左右吉のように、「実際の地名とは関係ない空想の地で、日の出る方向によった連想からきたもの」とする見方もある[4]神話学者松村武雄は、「日高見」は「日の上」のことであり、大祓の祝詞では天孫降臨のあった日向国から見て東にある大和国のことを「日の上の国(日の昇る国)」と呼び、神武東征の後王権が大和に移ったことによって「日高見国」が大和国よりも東の地方を指す語となったものだとしている[5]。また、「日高」を「見る」ということでは異論はなく、「日高」は「日立」(日の出)の意味を持つので、『常陸国風土記』にある信太郡については、日の出(鹿島神宮の方向)を見る(拝む)地、ということではないかともされ[6]、旧国名の「常陸」(ヒタチ)は、「日高見道」(ヒタカミミチ)の転訛ともいわれる[7]

その他様々にいわれているが、いずれにしろ特定の場所を指すものではないということでも異論はなく、ある時の王権の支配する地域の東方、つまり日の出の方向にある国で、律令制国家の東漸とともにその対象が北方に移動したものと考えられている[8]北上川という名前は「日高見」(ヒタカミ)に由来するという説もあり、平安時代には北上川流域を指すようになったともされている[9]戊辰戦争直後には北海道11カ国制定にともない日高国が設けられ、現在は北海道日高振興局にその名をとどめる。

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金田一京助は、「公望私記」が「四望高遠之地」とするのを批判し、「北上川」は「日高見」に由来するという説を唱えている[10]高橋富雄は、この「日高見」とは「日の本」のことであり、古代の東北地方にあった日高見国(つまり日本という国)が大和の国に併合され、「日本」という国号が奪われたもの、としている[11]歴史書などの史料による裏づけがあるわけではないが、いわゆる東北学のテーマとして、話題になっている[12]

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
7月23日
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