第8話
崇神天皇の事績のひとつとして、BC260年ころ、崇神天皇(このころは10代か?)の叔父である大彦が建埴安彦(タケハニヤス)と戦って滅ぼしたと書かれています。
大彦、タケハニヤスともに崇神天皇の叔父ですが、タケハニヤス彦の母だけが別系統です。
この同時期、丹波でクガミミノミカサが乱をおこしています。
古事記によれば崇神天皇の時代に「日子坐王に丹波国に派遣して、玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を殺させた」とあります。
このクガミミノミカサの本拠地は丹波と言われていますが、今の丹波橋(京阪電車の駅:特急が止まる)の近くで京都府伏見区久我(クガ)東町あたりに拠点を置いていたとおもわれます。耳(ミミ)とは地方長官くらいのことでしょうか?
大彦はこの機会を利用し、国を巡視するという目的で兵を集めました。タケハニヤスはこの軍が自分に向けられたものであること知って同じく兵を集め合戦となりました。
魏志倭人伝には投馬国の官はミミについての記述があります。「官を彌彌(みみ)、副 を 彌彌那利(みみなり) と 言う。」
投馬国とは但馬国(丹波)のことと思われ魏志倭人伝記述と一致します。
叔父オホビコ命(みこと)を大将として、副将としてはヒコクニブク命を叛乱の征伐に向かわせました。
この時戦場となったのは、京都府木津町あたりで精華町に祝園(ほふりその;京都府相楽郡精華町)というところです。ここでタケハニヤスを葬り去るったのでホフリソノといいます。
崇神記によると反乱軍はちりぢりに逃げ惑いました。皆先を争って樟葉の渡しに載りました。その時慌てふためき糞をもらして褌(はかま)にかかるほどだったそうです。その頃から、この地を糞褌(くそはかま)と呼ばれ、それがなまって久須婆(くずは)と呼ぶようになりました。それがやがて、葛葉や樟葉の字に変わっていったということです。
すでに述べたように地名伝説はほとんどが作り話ですが、ここのはひど過ぎます。先に樟葉の渡し舟に乗って逃げたとクズハの名前をだしておいて後になってクソハとしているのが間抜けです。アイヌ語で渡しのことをクスパというので、記紀の成立以前よりクスハという地名はあったと思われます。この作り話は御牧国(ミマキ)を呪う意図的なものであったかもしれません。私は楠葉に20年以上住んでいました。
なぜミ・マキ国(御牧国)は呪われたの地になってのでしょうか。摂津は無かったに続く。
関連項目 :タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4 ~大彦は、綏靖天皇
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
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<タケハニヤスの乱>
:タケハニヤスの乱1
:タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇
:タケハニヤスの乱最終章