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tootake

五十鈴姫の父親は?

更新日:2月5日

第218話


216話で、五十鈴は、饒速日の子で長脛彦の妹(三炊屋媛:本名は櫛玉姫命)の子です。日本史上でこれ以上の血筋の人物は後にも先にも存在しません。と書きました。


しかし、記紀では事代主を父親としているのです。

日本書紀では、「事代主神、三嶋溝橛耳神の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める子を、なづけて媛蹈鞴五十鈴媛命ともうす。」とあります。古事記では大物主神が三嶋湟咋の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売(ヒメ・タタラ・イスケヨリ・ヒメ)なっています。


私は、事代主についての記紀の記述は信用できないと思っています。

日本書紀で事代主は三輪氏の祖の天日方奇日方命を生んだとされています。

磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、実態は大物主神と同一神であるとされているのですが、そんな筈はありません。の天日方奇日方命は鴨王でこのブログでは、ウツシコオです。


古事記の国譲りで次のような場面があります。

高皇産霊尊は大物主神に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ)をお前の妻とさせたい。八十万の神々を率いて、永遠に皇孫(すめみま)を守護し奉れ」と勅して、下界に帰り降らせた。

高皇産霊尊はウツシコオ(孝元天皇の宰相)です。この場合は大物主は孝元天皇(饒速日)で、三穂津姫が玉櫛姫でです。


三炊屋媛の本名は櫛玉姫命で三嶋溝橛耳神の娘の玉櫛媛と思われます。三炊屋媛はウマシマジの母ですから、五十鈴姫も三炊屋媛の子なります。ウツシコオが五十鈴姫をミマキイリヒコ(崇神天皇)に嫁がせることにウマシマジに国譲りをせまったというこのブログのテーマに合致します。天叢雲剣~大物主は長脛彦邪馬台国全史~国譲り ウマシマジの憂鬱

大物主を長脛彦だとすると、三炊屋媛は妹ですから、話がややこしくなります。大物主はこの場合、饒速日でしょう。


私は三島の溝咋とは人名ではなく役職名ではないかと推測しました。溝咋は河川(山代川=淀川、木津川、賀茂川)の水運の責任者のことだと思います。ウツシコオも三島の溝杭だった時期があります。だから玉櫛姫を事代主:三嶋溝橛耳神の娘としたのです。事代主は、実在しない神武天皇を創作する際に辻褄を合わせるためにアジスキタカヒコネをモデルに創作された人物だと思います。味鋤高彦根命は事代主! (hidemaru3375.com)


五十鈴は、饒速日の子で長脛彦の妹(三炊屋媛:本名は櫛玉姫命)の子です。そして大彦の娘であるミマキ姫(御間城姫)は、ミマキイリヒコ(崇神天皇)の后となります。このミマキ姫が五十鈴姫で、神武天皇はミマキイリヒコ(崇神天皇)です。ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴 (hidemaru3375.com)

御間城姫を大彦の子であるとしたのは記紀の辻褄あわせでしょう。大彦は大国主で饒速日の子です。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。








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