第7話
伊香色雄命(いかがしこおのみこと)『古事記』では伊迦賀色許男命。
枚方フィルハーモニーの練習場である伊加賀(イカガ)小学校の付近に住んでいたされるイカガシコメ、イカガシコオは、あの難升米すなわちウツシコオ(内色許男命=大綜麻杵)の子です。内色許男命の後、崇神朝で大臣になったと思われます。私がこのプログを書き始めるきっかけになった人物です。
記紀によると崇神天皇7年に大物主神を祀る「神班物者」(かみのものあかつひと)に任じられたと伝えられています
即(すなは)ち意富多々泥古命(おほたたねこのみこと)を以ちて神主(かむぬし)と為(し)て、御諸山(みもろやま)に意富美和之大神(おほみわのおほかみ)の前を拝(いつ)き祭りたまひき。又伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)に仰(おほ)せて、天(あめ)の八十(やそ)びらか(=平らな土器。平たい皿様の器)を作り、天神地祇(あまつかみくにつかみ)を定め奉(まつ)りたまひき。
そこで、物部連の先祖伊香色雄を神班物者(かみのものあかつひと)にしようと占うと吉(よ)しと出て、またついでに他神を祭ろうと占うに、吉(よ)からずと出た。
その後、天皇は伊香色雄に命じて、物部のように沢山ある平瓮(ひらか)を祭神之物(かみまつりもの=神祭の供物)とされ、大田田根子を大物主大神の祭主にしたという。これにより、疫病は収まり、国内も鎮まり、五穀が実って、百姓は賑わった。
伊香色雄が登場するのはこの場面だけですが、このことから、崇神天皇が大和国三輪山の神を祭ることで、大和政権の基礎を固め、祭政一致の政策を行ってきたことが分かります。
私の妄想では、このイカガシコオが、銅鐸・銅剣を廃棄し、神社・神道を創設したと考えています。いきなり神社や神道を作り出せたるものでしょう?
その理由は方法は? 興味のある方は下にスクロール
2024.9.21:小楯姫は台与:小楯は枚方 では、下記のよう書いています。
「イカガ・シコオ、イカガ・シコオというのもイカガの男、イカガの女というだけで本当の名前ではありません。つまり伊香色雄命(イカガシコオ)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)で、伊香色謎命(イカガ・シコメ)は台与でしょう。」
では、
関連項目:出雲醜大臣命はオオタタネコ
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
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:タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇
:タケハニヤスの乱最終章
以下はファンタジーです。
日本人は不思議な民族です。民族的には、お隣の中国、朝鮮と最も似ている筈なのに、下記の点で両民族とは異なっているのです。
(1)1~10までの数えかたがふた通りある。
(2)ひらかなとカタカナの二通りの文字がある。
( 3)日本を神国とか神州とか思っている人がいる。
(4)神社・鳥居は、日本独自のものである。
(5)東南西北(トンナンシャ-ペ-)とは言わず、東西南北(とうざいなんぼく)と言う。~東南よりも東西方向を重視する。相撲でも「トザイ、トーザイと言っている。
以上の謎は、かつて日本人はユダヤ人であったと仮定するとすべて解明できるのです。
(1)いち、にい、さん、しいというのは、中国語のイ-,リャン、サン、ス-と本来は同じ音ですが、ひ、ふ、み、よはなんと古代ヘブライ語でしかも意味があるのです。(女神を呼び出す言葉で、ひとつふたつの「つ」は出てこいという掛け声です。)
(2)ひらかなは漢字をくずしたものですが、カタカナと同じ文字が、イスラエルで発見されています。
(3)ユダヤ教は、キリスト教やイスラム教の元となっている宗教です。ちなみにヘブライ語で「ヤ」というのは「神」という意味で、日本語で八重、八幡(やわた)、やおよろず、八坂、八幡など「や」が付く言葉で神社に関係しているものが多くあります。
なお、ヤサカとはヘブライ語で神への信仰、そしてヤマト(YA・UMATO)とは、神の民の意味です。
(4) トリイとはヘブライ語で門を表すTARAAがなまったものと思われ、神社と鳥居はダビデ王の宮殿に似ています。
(5)日本人は東西を重視するくせがあるのです。そして常に東(日の昇る方向)を目指しています。
西は、古語で”いにし”と発音します。”いにしえ”とは、過去と言う意味で、つまり日本人は過去に西から東(ひんがし=日向かし)に移動して来たと考えられるのです。
日本人=ユダヤ人説は、明治時代に日本に来た英国人によって提唱され、今でも日本とイスラエルの学者(物好き)によって、研究され続けています。
かってユダヤには十二の部族がいましたが、エジプトに、奴隷としてつれていかれ、十戒で有名なモ-ゼによって開放されました。その際、イスラエルに帰ったのは二部族だけで、あとの十部族は、神に約束された地であるカナン(河南?)を目指して、東に向かいました。
常に日に向かって進んでいたため部族のリ-ダ-はヒコ(日子=彦)、ヒメ(日女=姫)と呼ばれ、海を渡りついに行き着いた所をヒムカ(日向)と呼びました。そして神武の時、さらに東遷し、ついに大和にやってきたのです。神武は、やまと言葉ではカム、ヤマト、イワレ、ヒコ、スメラ、ミコトと(創設 神の民 ヘブライの リ-ダ- サマリヤの 神の世界)呼ばれていました。( ) 内はヘブライ語での訳
太秦(うずまさ)の地にはヤスライ(ヘブライ?)井戸なるものがあり、ダビデの紋章である星が描かれています。藤原氏はかつて中臣といい、さらに古代には天のコヤネであり、神主のようなことをやっていましたが、コヤネ(KAHANE)は祭司のことです。まだまだ類例は有りますが、きりがないのでこれくらいにします。
つまり物部氏は、大陸からやってきたユダヤ人でユダヤ教を日本に移植し、神道を創設したのではないかというのが私の妄想です。