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キサガイヒメはウツシコオの母!

更新日:3月9日

第253話


キサガイヒメ・ウムギヒメとは日本神話に登場する女神です。古事記ではそれぞれ「𧏛貝比売(きさかひひめ)」・「蛤貝比売(うむかひひめ / うむぎひひめ)」と表記します。キサガイヒメは赤貝を、ウムギヒメは蛤を神格化したものと考えられています。

キサガイヒメは神産巣日神に派遣されて大国主神の治療に従事したとされています。


貝殻は薬の入れ物です。粉末にした赤貝の殻を母乳に見立てた蛤の白い汁で溶き、火傷の治療に使ったという民間療法を表すとする説があります。蛤は和名抄に「海蛤ウムキノカヒ」とあり、古くから薬剤として利用されていました。


出雲国風土記ではキサガイヒメ命は加賀の神埼(松江市島根町加賀)で佐太大神を産んだとされています。加賀神埼とは、現在「加賀の潜戸」と言われ、グラスボートの遊覧船で観る事ができます。自然に形成された海蝕洞窟で、「金の弓で洞窟を射通したとき」に佐太大神が誕生したとあります。海からこの洞窟を見ると、女性の性器に見えます。「金の矢」は男性性器を想起し、矢の神は大物主神と言われと枳佐加地売命との御子であることを、このようなスケールで伝承したものと思われます。加賀の潜戸~ 佐太大神(猿田彦)


神埼とは、舟での往来が困難な場所のことです。勢力の強い神がいて暴風雨を起こすとされていました。現在もこれを引き継ぎ、佐田彦大神は「衢(ちまた)の神」「導きの神」といわれるように、交通安全・道中安全の神徳があるといわれています。


サタヒコは、佐田彦神で京都の伏見稲荷大社で祀られる稲荷三神(上社・中社・下社の神の総称)の一柱です。佐田彦大神は猿田彦です。佐太大神は、猿田彦神と同一と見なしたのは江戸時代の国学者平田篤胤です。また、江戸時代の雍州府志では、伏見稲荷の上社の神を「大田命」(おおたのみこと)としています。この神は猿田彦神の子孫で、伊勢の五十鈴原の地主神である(猿田彦神の別名ともいわれる)。 同じく江戸時代の神社啓蒙では、上社の神は「土祖神」(つちのおやのかみ)としています。「土祖神」は塩土老翁神です。猿田彦は塩土老翁神


私は、ウズヒコ、シイツネヒコ、サオツネヒコ、塩土老翁は同一人物で、ウツシコオだったと思っています。猿田彦もウツシコオです。塩土老翁~浦島太郎2

ウツシコオはヒコサチとして瀬戸内海を船で自由に行き来していました。「衢(ちまた)の神」「導きの神」といわれる所以です。塩土老翁は神武東征の際の水先人です。塩土老翁は、とるべき行動を示すという重要な役割を持っています。ヒコユキからウツシコオへ


キサガイヒメ命は加賀の神埼で佐太大神を産んだとされています。「金の矢」は矢の神は大物主神と言われとあります。

大物主は長脛彦=大田命(おおたのみこと)=ウツシコオです。

キサカイ姫が大田命(おおたのみこと)=ウツシコオ=彦狭知を生んだのは紀ノ國の名草(太田)だと思います。神埼とは和歌山県の天神崎のことでしょう。

和歌山県にも自然に形成された海蝕洞窟があります。


「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」キサガイヒメ命も渡来人で医学の知識も豊富だったと思われます。


<蛇足の後期>

枳佐加地売命は、「因幡の白兎神話」の後段、岐路の途中 八十神の謀略で命を落とした大国主命を救い、再生させた女神「キサガイ姫」のことです。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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