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劔神社(直方)~ヤマトタケルは五十猛

更新日:2023年11月18日

第153話


枚方(ひらかた)、南方(みなみかた)、宗像(むなかた)と「方(かた)」の付く地名は水運の拠点地ではないでしょうか。


ということで今回は、福岡県の直方(のおがた)について調べてみました。市の中心部は平野地形で筑豊平野のほぼ中央にあたり、彦山川、犬鳴川をあつめた遠賀川が流れています。

劔神社(つるぎじんじゃ)は、福岡県直方市下新入にあります。遠賀川流域は物部氏のゆかりの地域です。この神社は旧鞍手郡(くらてぐん)に位置し、この「鞍手」(くらで)という地名は筑紫国造鞍橋君(くらじ の きみ)の「くらじ」が訛ったものとされるので、倉師(くらじ)大神の「くらじ」はこの鞍橋君に由来する可能性もあります。


このプログでは、「くらじ」といえば、高倉下=大彦=大国主です。


劔神社の祭神は、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、日本武尊

石折神(いはさくのかみ)、根折神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いはつつのをのかみ)

以上、三柱の神は十拳剣の先端からの血が岩石に落ちて生成された神々。

甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)、別名は建布都神(たけふつのかみ)、別名は豊布都神(とよふつのかみ)

以上、三柱の神は十拳剣の刀身の根本からの血が岩石に落ちて生成された神々。

闇淤加美神(くらおかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)

以上、二柱の神は十拳剣の柄からの血より生成された神々である。


注目すべきは、日本武尊(ヤマトタケル)です。各地の剣神社をみてみますと、 福井県の劔神社(つるぎじんじゃ)の祭神は、素戔嗚、

徳島県の劔神社(三好市)は、大山祇と素戔嗚。

山口県の劔神社 (防府市)は素戔嗚

鹿児島県の剱神社は日本武尊  となっています。


九州の劔神社は、もともと素戔嗚であったのが、日本武尊に入れ替わったという研究者がいます。 福岡県筑紫野市原田では筑紫神社(つくしじんじゃ)では、筑紫の神 (つくしのかみ)を祭っていますが、この筑紫の神は、白日別神(しらひわけのかみ)とする説があります。これは古事記の国産み神話に「筑紫国を白日別という」とあることによります。

白日別は、素戔嗚のことだとされています。白日別(素戔嗚)は筑紫の国魂=大王(オオキミ)と言っているのは、小椋一葉氏です。

日本書紀では神代の別伝として、スサノオが五十猛神(五十猛命)を連れて新羅に天降り、のち出雲に移ったとある。このとき、五十猛神は多くの樹種を持っていたが、韓国では植えず、筑紫から始めて国中に播いたと伝えられています。


佐賀県杵島郡白石町にある稲佐神社(いなさじんじゃ)の祭神、五十猛命、大屋津姫命(五十猛の妹)です。これらのことから、素戔嗚と五十猛(饒速日)は、九州を制圧したとおもわれます。長崎県の島原半島はかつて五十猛島と呼ばれていたそうです。佐賀県杵島郡白石町辺田の稲佐山中腹に稲佐神社が鎮座し、五十猛神・大屋津姫を祭っています。

佐賀県杵島郡の「杵島、きしま」の地名は五十猛(木の神)に由来する「木島」です。


銅鐸は大和朝廷(邪馬台国)との平和的に交易をした地域で、銅剣は大和朝廷に逆らった地域です。五十猛(饒速日)は、武力で九州を制圧したと思われます。五十猛は日本武尊です。

              {参考文献}消された大王「ニギハヤヒの謎」神一行


<関連項目>


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


銅剣・銅鐸の分布図


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