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彦国葺~タケハニヤスを射った男

更新日:2月27日

第236話


崇神天皇は玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を殺させたと日本書紀に書いてあります。殺したのは、日子坐王(彦坐王:ヒコイマスミコ)です。


クガは京都市伏見区久我あたりの地名です。付近には桂川が流れています。「この辺りは亀岡が中心の但馬の入り口であり、丹波に属していたと考える。桂川の水運を押える久我の支配者、玖賀耳之御笠は、下流の茨木市の青銅器製造業者にとっては、目の上のタンコブといった存在で、ついには崇神天皇による玖賀耳之御笠殺害事件にいたるのである。」

「謎の四世紀」上垣内憲一著 p252より引用


このあたりには現在、京阪電車の丹波橋という駅があります。丹波(但馬:たじま)は魏志倭人伝のいう投馬と思われます。水運を司っていることから玖賀耳之御笠も私のいうところの「三島の溝杭」のような存在です。おそらくウツシコオ(安寧天皇か?)の配下であったのでしょう。青銅器製造業者というのは茨木市の東奈良遺跡のことでしょう。この遺跡の工房跡から、銅鐸の鋳型が35点も出土しており、ほかにも銅戈・勾玉などの鋳型が発掘されています。ここの鋳型で生産された銅鐸が、近畿一円から四国でも発見されています。


この事件がきっかけとなり、タケハニヤスの乱が勃発します。実際に防戦した将軍は、春日王家ワニ氏の彦国葺(ヒコクニフク)です。彦国葺は、埴安彦(タケハニヤス)と川を挟んで対陣した。埴安彦が無道にして王室を傾ける者であると言い、武埴安彦と彦国葺とによる矢の射ち合いとなったが、まず先に放った武埴安彦の矢は当らず、次に彦国葺の放った矢が武埴安彦の胸に当たったという。


日子坐王(彦坐王:ヒコイマスミコ)の父親は開化天皇で、母親は古事記では意祁都比売命(オケツヒメ)。日本書紀では姥津媛(ハハツヒメ)で丸邇臣(ワニノオミ)の一族とされています。この彦国葺は春日王家ワニ氏で後の春日氏です。春日王家はワニ氏と関連が深く、春日神社が中臣氏の天児屋根を祭っていることからほとんど同族でしょう。春日も大阪府茨木市の地名です。大阪府茨木市には現在でも春日神社が九社もあります。


武埴安彦命の乱の始まりと終幕で和珥氏(わにうじ)が登場するのは偶然でしょうか。

私にはその陰に中臣氏の天児屋根の姿がみえます。武埴安彦命の乱~天児屋根の陰謀



<タケハニヤスの乱>

タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)

タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




銅鐸鋳型出土記念碑~大阪府茨木


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