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大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4

更新日:3月5日

第54話


大国主は大彦そして綏靖天皇であるという私の説の検証の続きです。


1、大彦は、孝元天皇と欝色雄命の妹で皇后の欝色謎命(うつしこめのみこと、内色許売命)との間に生まれた第1皇子とされています。

そして大国主の父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)。また『日本書紀』正伝によると素戔嗚尊(すさのおのみこと)の息子。日本国を創った神!と書かれています。

大国主の母である刺国若比売(さしくにわかひめ)は息子に大屋毘古神(孝霊天皇:饒速日?)の木の国に行くよう施したとありますからこっちが本当でしょう。

2,大彦の子は、タケヌナカワ(武淳川別)<ーー>カミヌナカワ(神渟名川耳尊:綏靖天皇)よく似ています。私が、大彦=綏靖天皇と思うのは、タケハニヤス(武埴安彦命)と戦ったからです(タケハニヤスの乱3参照)。タケハニヤスは、スサノオとアタ姫の子タギシミミです。

大彦の名前が刻まれた鉄剣が稲荷山古墳から出土していますから、大彦というのが本当の名前でしょう。

3,大国主の母は、刺国若比売(さしくにわかひめ)。『古事記』にでは刺国大神の子とされています。刺国大神の「刺す」は「標(しめ)」を刺すこと、占有すること、親の意と解し、名義は「国を占有する親」と考えられます。つまりどこかの有力者の娘、おそらく、磯城県主の娘姉の蝿伊呂泥(ハエイロネ)でしょう。別名、意富夜麻登玖邇阿礼比売(オオヤマトクニアレヒメ)は孝霊天皇の妃となり、有名な倭迹々日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)や吉備津彦などを生んでいます。

「刺国若比(さしくにわか姫)は、八十神たち(大和朝廷=邪馬台国=ウツシコオ)に殺された息子の大国主神を見て嘆き悲しみ、、」とあることから、ウツシコメは、大彦=大国主の母親とは思われません。自分の息子を暗殺するでしょうか?


タケハニヤスの乱1,でこれまで書いてきた話をまとめるとこうなります。


・タケハニヤスは、タギシミミで孝元天皇の長男、母親はハニヤス姫(実はアタ姫)。

・大彦はカミヌナカワ=綏靖天皇で孝霊天皇=饒速日の子。→さらに検証が必要でしょう。

・弟が兄を殺す話。


日本書紀には、出雲振根(ふるね)が殺される話が書かれています。


「出雲大神(熊野神または杵築神)の宮」に収めてあった「武日照命(たけひなてるのみこと)の天(あめ)より将(も)ち来(きた)れる神宝(かむたから)」を大和政権の使者である武諸隅(たけもろすみ)に渡してしまった。このことで振根は立腹し、弟を責めたという。彼の忿怒は年月を経ても収まることはなく、水浴びをすると弟を騙し、弟の大刀を自分が作成した木刀にすり替え、結果、弟は兄に殺害された。

飯入根の弟と子供は、このことを詳しく朝廷に訴えた。その結果、振根は天皇の遣わした将軍、吉備津彦(きびつひこ:孝霊天皇の子)と武渟川別(たけぬなかわけ:大彦の子)によって殺されてしまった。


この話のポイントは兄が弟を殺したという点がポイントです。

つまり、大彦がタケハニヤスの乱のことを神話風に仕立て直したのが出雲振根(ふるね)が殺される話です。大彦にとってタケハニヤスは兄だったのです。しかもその後、兄も征伐されています。大彦もその後姿を消しています。


この話は大和猛(ヤマトタケル)の話としても転用されています。ヤマトタケルも兄を殺しています。大彦が綏靖であることを隠したい記紀(ウツシコオ?)の思惑です。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



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tootake
Aug 26, 2023
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