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大歳~稲耕の神

更新日:6月4日

第259話~正月にお餅を供えるわけ


第256話で、ウガヤフキアエズは玉依姫との間に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、彦火火出見尊(神武天皇)をもうけたとされています。一方でスサノオ(素戔嗚尊)は8人の子供(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)と書きました。


上記から稲飯命は大年神と同一人物ではないかと思い考察してみました。大歳は饒速日だと思っています。稲飯命という名前からは農耕に関した神ではないかと推測されます。


大歳(大年神)は、古事記では須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)としています。両神の間の子にはほかに宇迦之御魂神がおり、、、との記載があります。須佐之男命(素戔嗚)は孝霊天皇で、神大市比売は、市杵島姫命(孝霊天皇妃=味舌姫)、そして宇迦之御魂神は、饒速日の妹で伏見稲荷です。


大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれます。

「年」は稲の実りのことで、穀物神です。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとしています。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていったのです。


現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物でした。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えます。今では正月にどの家庭でも鏡餅を備えるのは歳神、つまり大歳=稲飯命=饒速日に供えていたことになります。

大歳=饒速日は日本に農耕を広めた偉大な人物であったのです。


大歳の父親と思われる天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)は名草から三島にやってきました。昔・呉勝・韓国より渡り来たり、はじめて紀伊国名草郡大田村にいたり、その後、分かれ来て、移りて摂津国三島加美郡大田村に遷り来る。これ本の紀伊国なる大田をもって名となすなり」とあります。


茨木市(三島)には太田という地名〒567-0018があり太田神社が今でもあります。祭神は豊受大神です。農耕の神です。近くには東奈良遺跡があります。古代の水田から古代の人々の足跡もみられます。


饒速日のという名前は、茨木市の新和(にいや〒 567-0855:現在はしんわ)と表記される地区によると思われます。饒速日をローマ字表記にすると NIGIHAYAHI(にぎはやひ)ですが、西日本では濁音が清音に変化するため NIKIHAYAHI(にきはやひ)となり、また発音し難い「は」と末尾の「ひ」が省略され NIKIYA。世界的に Kは Hに転化するため、NIHIYA(にひや) になったとする説があります。


私の家から一番近い大歳を祀る神社は向日神社(むこうじんじゃ:京都府向日市向日町北山)ですが、大歳神は向日神とされています。葛木御歳神社では、御歳山がご神体です。大物主を祀る大神神社でも山そのものがご神体で三輪山の山頂には日向の御子「神坐日向神社」が祀られています。


饒速日はヒムカ(日向)の御子と言われるのは、饒速日を祀る物部一族は日読みの技術を持っていたからです。太陽観測「日読み」の技術がなぜ重要かというと稲作です。日本では古くから重要な食糧作物であり、稲は太陽の光を利用して成長します。稲作において太陽の高度や日照時間は重要な要素です。日読みの技術とは太陽の観察です。(下記参照



※以下は以前に書いた記事です。


(注:日読み)

三輪山周辺にある他田坐天照御魂神社(おさだにますあまてるみたまじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社で、祭神は饒速日です。この地は第30代敏達天皇の訳語田幸玉宮(おさださちたまのみや)の伝承地とされています。この他田坐天照御魂神社は「日読み」の神社です。石見の鏡造り神社である石見と他田を結ぶと、その線は三輪山山頂にいたり、その頂上から朝日を、石見からは冬至、他田からは立春・立冬に見ることができます。その拝礼地となっているのが当社近くのの石塚古墳です。考古学者の森浩一氏は、この古墳を「冬至・夏至」の祭祀を行った祭壇があった円丘ではないかとみておられます。つまり、ここから三輪山と太陽の位置関係を巨大な自然のカレンダーとして観測できる地なのです。そしてその観測者を日祀部というのですが、敏達天皇がわざわざこの地に遷都した理由は「日読み」だと思われます。第23話で述べた茨木市にある新屋坐天照御魂神社は福井神社とも呼ばれ饒速日が天下った場所とされています。


福井(茨木市)の天照御魂神社は、三島の重要な神社で太陽祭祀に関わっており、この神社を通る南北線に対してそれぞれ東方へ30度・45度・60度の位置にある天岩門別神社は30度、溝杭神社(茨木神社内)は45度、西川原にある天照御魂神社は60度です。

饒速日を祀る天照神社はまさに太陽信仰の祭祀場だったのです。(古代史研究家の大和岩男氏の説を引用です。)


(コロナ)の大流行により放棄されてしまい代わりの三輪山周辺にある他田坐天照御魂神社に同じような太陽観測の場を作ったと思われます。邪馬台国で疫病発生


<追記>

・豊受大神は「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神です。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになりました。

京都の伏見稲荷大社の主祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:倉稲魂命)です。

宇迦之御魂神は大歳(おおとし)の妹です。

・稲荷大社のキツネは稲の穂を咥えています。宇迦之御魂大神の他に保食神(うけもちのかみ)、御食津神(みけつのかみ)などが御祭神としておまつりされることもあります。いずれの神様も「うか」「うけ」「け」という、食べ物を意味する名前を持つ神様です。

宇迦の御霊とは稲の精霊という意味だそうです。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



        大歳



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