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tootake

建角身命もウツシコオ

更新日:6月16日

第280話


タケツノミ(賀茂建角身命)の別名には八咫烏、八咫烏鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)です。賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神です。

神武東征の際、八咫烏に化身して神武天皇を先導したとされています。


賀茂建角身命には玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりひめ)の2柱の御子神がいます。玉依日売は、丹塗矢に化身した火雷命(ほのいかづちのみこと)を床の近くに置いていたところ、可茂別雷命(かもわけいかづちのみこと、上賀茂神社の祭神)を懐妊し出産したとされています(山城国風土記)。ということは、可茂別雷命は賀茂建角身命の孫です。


タケツノミの孫である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、上賀茂神社の祭神です。古事記と日本書紀には登場せず、室町時代の賀茂之本地ではアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)と同一視されています。


これまでこのブログで様々な検証をしてきました。タケツノミこそがウツシコオです。

玉依日売は玉櫛姫=ミホツ姫(美穂津ではなは御保津が正解)です。賀茂別雷命がアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)だとするとミマキイリヒコということになります。


古事記の国譲りでは高皇産霊尊(ウツシコオ)は大物主神(この場合は大国主=大彦)に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ:御保津姫)をお前の妻とさせたい。とあり大彦に自分の娘の玉依日売=玉櫛姫=ミホツ姫を嫁がせできた子がミマキイリヒコ(崇神天皇)=賀茂別雷命がアジスキタカヒコネという流れが見えてきます。しかしこの流れはあまりにもすんなりしすぎているのです。ミマキイリヒコ(崇神天皇)が大彦(開化天皇? ) であれば大王の血筋は正当で何の問題もありません。国譲り再考


国譲りの物語を創作する必要がないのです。上記のすんなりとした流れにはいくつか疑問点があります。ミマキイリヒコの后のミマキ姫も大彦の子です。つまり兄弟となってしまいます。ミマキイリヒコの母はイカガシコメですが、イカガシコメは開化天皇の后であり、孝元天皇の后でもあるのです。


私はミ・マキ・イリ・ヒコのイリは入り婿の意味ではないかと考えています。そしてその実態は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)であるという妄想をいだいています。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。








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