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彦狭島命~吉備児島

更新日:7月8日


児島(こじま、こしま)は、吉備国・備前国にあった島です。江戸時代中期に、海域の新田干拓により陸続きとなり、児島半島となりました。児島は古代より実在し、記紀に記されており、それが吉備国の初見です。


古事記のイザナギ・イザナミによる国土生成の項に「かれこの八島ぞ先づ生みませる国なるに因りて、大八島国と謂ふ。さて後還りましし時に、吉備の児島を生みたまふ。またの名は健日方別*といふ」とあり、児島は大八洲生成の後に生み出されています。

*建日方別については次回で述べます。


児島および周辺の島々と本土により囲まれた海域は吉備穴海と呼ばれ、重要な海洋交通路です。孝霊天皇の皇子に彦狭嶋命( ひこさしまのみこと)がいます。母は、絙某弟(はえいろど)で、越智氏の祖とされています。父の命で、伊予(いよ)を統治し、伊予皇子という別名をもつ。また、愛媛県伊予郡松前町にある伊予神社の主祭神でもあります。私は、この彦狭嶋命の名前の元になったのが児島だと思っています。狭嶋=児島です。


常陸国風土記の記述から、彦狭島のは「鹿島」と同義とする説があります。 常道仲国造の祖「建借間  https://isobedas2.sakura.ne.jp/wp/sashima/hitachi-naka/


鹿島といえば、鹿島神宮です。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ:タケミカヅチ)が祀られていおり、鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれています。


大和朝廷から国家統一のため東国に建借間命(たけかしまのみこと)が派遣されてきたのが、茨城県の水戸の始まりでした。 命は軍船を率いて霞ヶ浦に入り、鹿島・行方地方、さらに那珂川流域一帯を切り開いたので、朝廷から那賀(仲)国造に任命されました。那賀国は、当初いまの水戸市飯富付近を根拠としたとみられ、これが現在の水戸です。ちなみに茨城県の茨城は、大阪府の茨木が由来だと思います。茨木は三島(御島)です。木は城という意味もあります。


大宮大神の祭神の健御雷之男命とは建借間命のことと思われ、建借間の借間(かしま)は「鹿島」であり、鹿島神宮の祭神のタケミカヅチとの関連が推測されます。建甕槌は、常陸国鹿島の神と同名で、蠅伊呂泥、蠅伊呂杼系譜の「彦狭島」の「狭島」が「鹿島」と同義であることされています。蠅伊呂泥・蠅伊呂杼=絙某姉(はえいろね)と絙某弟(はえいろど)の姉妹は孝霊妃です。


彦狭嶋命は、重要な海洋交通路である狭嶋を支配下に置いていたことから、南方刀美神(タケミナカタ)と同一人物であるとされています。また彦狭嶋命は瀬戸内海の覇者で、四国側では彦狭嶋命、岡山(吉備)側では吉備津彦と呼ばれていたとされるのは、「神武天皇と卑弥呼の時代」の著者である佐藤洋太氏です。p110


吉備津彦は孝霊天皇の子です。彦狭嶋命=吉備津彦=南方刀美神(タケミナカタ)です。

さらに言えば、塩土老翁神 うず彦(椎根津彦) 塩土老翁 猿田彦 ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。そして伊勢津彦も忘れてはいけません。伊勢津彦も瀬戸内海の覇者です。 伊勢津彦はタケミナカタ


鹿島神宮、枚岡神社春日大社で武御雷(タケミカヅチ)が祭られている理由がやっと分かりました。タケミカズチは天児屋根命でウツシコオ(内色許男命)=彦狭嶋命だからです。




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>


下津井瀬戸大橋 倉敷市児島唐琴  王子が岳    国民宿舎~桜園地ルート


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
07 jul
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
06 jul
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大和王権が成立する古墳時代には、最初期の神社と考えられる宗像大社大神神社で、古墳副葬品と共通する副葬品が出土することから、大和王権による国家祭祀が行われたと推定されており、この時期に神道の直接の原型が形成された[30]。飛鳥時代には律令の整備に伴い、神祇令に基づいた祭祀制度の体系化が行われ、神祇官が全国の神社に幣帛を頒布する班幣制度の確立や、全国の神社への社格区分や神階神位の授与など、全国の神社を包括する国家的な律令祭祀制度が整備されたため、この時期に体系的な「神道」が成立したとするのが、多くの研究者での概ねの共通認識となっている[31]

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
06 jul
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「天日方奇日方命」の「日方」が「日向」と関連しているかどうかについては、特定の文献や神話によって異なる見解があります。

一部の説では、「日方」が「日向」を指すとされています。日向は日本の地名で、現在の宮崎県を指します。この地域は古代から神話や伝説に登場し、神々の活動の舞台とされています。

しかし、他の説では「日方」が別の意味を持つ可能性もあります。神話や伝説は時代や地域によって異なる解釈がされることがあり、明確な答えは存在しないこともあります。

もしさらなる詳細を知りたいことがあればお知らせください。お手伝いできることがあれば喜んでお手伝いします!😊


天日方奇日方命は日向賀牟度美良姫を生む。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
06 jul
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『尊卑分脈』所載藤原氏系図の垂仁天皇代に「国摩大鹿嶋命」がみえる。その子に「巨狭山命」があるが,これは『常陸国風土記』に出てくる「巨狭山命」である。おそらくこのオオカシマの名は,常陸の鹿島(茨城県)に関連のある名で,常陸の卜部を通し中臣氏の系譜中に取り込まれたものと思われる。


天美佐利命


天美佐利命は大鹿島命と思われます。中臣氏及び藤原氏の祖神である天児屋根命の「コヤネ」には「祝詞を美しく奏上すること」の意味があるので、天美佐利命(大鹿島命)は天児屋根命かもしれません。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
06 jul
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