第151話~饒速日と五十鈴姫
前号で「奈良県高市郡明日香村大字栢森字堂ノ上にある 加夜奈留美命神社の御祭神は加夜奈留美命で高津姫神とされています。高照光姫大神命は葛木郡の「御歳神社」に鎮座していると記されています。」と書きました。
「御歳神=高照姫=下照姫」とする説がありますが、御歳は、高照姫ではありませんと言っているのは、本居宣長です。
先代旧事本紀に「高照光姫大神命 坐倭国葛上郡御歳神社」の記載があるほか、『大神分身類社鈔』にも「長柄比売神社一座、大和国葛上郡、曰御歳神社、高照光姫命」と見え、高照光姫命を祭神とする説が存在します。この高照光姫命祭神説に関して、本居宣長の古事記伝では、神名帳において鴨都波八重事代主命神社の次に葛木御歳神社が掲載されていたために、事代主の妹神である高照光姫命をおしあてたに過ぎないと推測しています。私は、御歳神=高照姫もありえると思うようになってきました。
葛木御歳神社は、全国にある御歳神社・大歳神社の総本社です。大歳を祀る神社では、たいてい御歳が祀られており、大歳と御歳は親子であることが分かります。御歳は大歳の娘です。そして大歳は饒速日です。高照姫と下照姫は大国主(大彦)の子で、アジスキタカヒコネ(高日子根)の姉妹です。大国主は、大彦
大歳(大年神)は、古事記において須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)としています。両神の間の子にはほかに宇迦之御魂神がおり、、、との記載があります。このプログでは、既におなじみの名前です。須佐之男命(素戔嗚)は孝霊天皇で、神大市比売は、市杵島姫命(孝霊天皇妃=味舌姫)、そして宇迦之御魂神は、饒速日の妹で伏見稲荷です。
古事記によると御歳神は須佐之男命の孫にあたり、大年神(スサノオの子)と香用比売(かよひめ)の間に生まれたとされています。「御歳」は「御稔(みとし)」の意で穀物を司る神とされ、朝廷の祈年祭では最も重要な神として祀られていました。
御歳は、五十鈴姫(イスケヨリ姫)です。饒速日の本当の名前「大歳」の娘だから、「御歳」なのです。ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
私の家から一番近い大歳を祀る神社は向日神社(むこうじんじゃ:京都府向日市向日町北山)ですが、大歳神は向日神とされています。向日は日向でないでしょうか。
葛木御歳神社では、御歳山がご神体です。大物主を祀る大神神社でも山そのものがご神体で三輪山の山頂には日向の御子「神坐日向神社」が祀られています。
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<後記>
京都の八坂神社で、八柱御子神 (やはしらのみこがみ)として素戔嗚尊の8人の子供(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)を祀っています。古事記では五十猛神(イタケル)は第2子、大歳(饒速日)は第5子となっています。つまり五十猛と饒速日は同一人物ではなく兄弟だということです。
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中