第138話~邪馬台国異聞13
古事記では、神阿多都比売(かむ・あたつ・ひめ)、日本書紀では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)、邇邇芸命(ニニギノミコト、ホノニニギ)から求婚を受けます。父の大山津見神はそれを喜んで、姉の石長比売(イワナガヒメ)と共に嫁がせようとしましたが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚したのです。
父神の大山津見神はこれを怒り、私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものになるはずであったのに、木花之佐久夜毘売のみを妻にしたため、木の花が咲き誇るように繁栄はするだろうが、その命ははかないものになるだろうと語っり、それで天神の子孫である天皇に寿命が生じてしまったといいいます。神々の時代から天皇の時代への途中に位置づけられる神話となっています。
この話の中で実在したのは、大山祇(大山津見神)だけで、ここでも大山祇は天皇家に后を送る役割をもしっかり果たしています。櫛名田比売(くしなだひめ) も大山祇の娘だと思われます。突っ込みどころ満載の話ですが、今回は古代天皇の寿命について述べたいと思います。
崇神120歳、垂仁140歳、景行106歳、政務107歳、仲哀52歳、神功100歳、履中70歳で 以下の天皇たちは普通です。
三国志「魏志倭人伝」の記述が足りない部分に裴松之が注を付けたものが残っており、「魏略に曰く其の俗正歳四節を知らず但春耕秋収を計って年紀となす」という記事があります。当時の日本で「1年2倍暦」が採用されていたことを示しています。「春耕~秋収」で1年、「秋収~春耕」で更に1年と数えていたのです。
ですから、単純2で割ると、ごく普通の寿命となります。
崇神60歳、垂仁70歳、景行53歳、政務54歳です。仲哀天皇が52歳で亡くなったとされるのは、仲哀天皇が、早死なのは、神功の朝鮮出兵に反対し、急死して神の怒りに触れたと見なされたためです。
この話は、大山祇が娘を返されたことを恨みに思い呪いで天皇家の寿命を縮めたというのではなく、記紀の筆者たちが、古代の天皇の寿命が異常に長いことに気付き、今更訂正できないので無理やりにその理由を説明したかったために創作したのでしょう。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 (hidemaru3375.com)
真舌媛は、宗像三女神! ~三島(茨木市) (hidemaru3375.com)
全ての道は三島に通じる。 (hidemaru3375.com)
奈良に湖 もう一つの古代高速道路か (hidemaru3375.com)
木津川は高速道路 ~山城 (hidemaru3375.com)
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇 (hidemaru3375.com)
丹・朱を求めた天皇たち (hidemaru3375.com)
開化天皇~クガミミ暗殺計画 (hidemaru3375.com)
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4 (hidemaru3375.com)
五十猛彦は饒速日! (hidemaru3375.com)
孝元天皇は五十猛! (hidemaru3375.com)
孝元天皇と家族たち (hidemaru3375.com)
欠史八代もミマキ国(邪馬台国)に居た! (hidemaru3375.com)
<出雲シリーズ>
狗奴國は、出雲、実は三島? (hidemaru3375.com)
出雲大神宮と出雲大社 ~亀岡、島根 (hidemaru3375.com)
根の国 ~島根、鳥取 (hidemaru3375.com)
大国主は、大彦 ~出雲は三島 (hidemaru3375.com)
出雲神話の真実 (hidemaru3375.com)
投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲 (hidemaru3375.com)
<タケハニヤスの乱>
:タケハニヤスの乱1
:タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇
:タケハニヤスの乱最終章
邪馬台国で疫病発生 (hidemaru3375.com)
本名の「阿多」は鹿児島県南さつま市から野間半島にわたる地域、また薩摩国(鹿児島県西部)にちなむ名で、「鹿葦」も薩摩の地名という。
「桜の花の咲くように咲き栄える女性」と考えられる。
富士山の祭神は様々な形で神格化されているが、その一つである浅間大神(富士の権現)がコノハナノサクヤビメとして位置づけられている。富士山を神体山とする富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。
歴史的には、古代や中世には富士山の祭神(権現)をコノハナノサクヤビメとする文献は見当たらないとされ、
近世に林羅山が元和2年(1616年)の『丙辰紀行』で諸説の中から三島神社の祭神が父神の大山祇神であり三島と富士が父子関係にあるとする伝承を重視し、これを前提に「富士の大神をば木花開耶姫」と神話解釈を行ったことで権威をもつようになった。また堀杏庵は寛永4年(1627年)の『杏陰稿』で「富士権現ハ木花開耶姫」と記している。