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tootake

楯築墳丘墓~岡山

更新日:2023年11月26日

第162話


卑弥呼の墓とも、倭迹迹日百襲姫命(やまととももそ姫)とも伝えられる箸墓古墳の元となった古墳があります。岡山県倉敷市矢部にある楯築墳丘墓です。


ヤマトトモモソ姫の弟される吉備津彦(きびつひこ)の墓と伝えれれる吉備中山古墳から宮山形特殊器台が出土しており、箸墓古墳(奈良県桜井市箸中 )からもこの宮山形特殊器台が出土しています。箸墓古墳と吉備中山古墳は前方後円墳の形がよく似ています。上垣内先生は、箸墓古墳を作る技術を持った人たちは吉備から来たのではないかと推測されておられます。


岡山県倉敷市矢部にある楯築墳丘墓は、香川県高松市猫塚古墳奈良県天理市櫛山古墳などと同じ双方中円墳ですが、先行的な形態をしています。 2世紀末に起こった倭国大乱が終わった後、瀬戸内海沿岸地方では、古墳造営の新しい兆しが見え、この地域で墳丘の造営の動きが見られるようになりました。 このような大きな墳丘墓が、古墳時代より先に築造されていたのは、この地に葬送儀礼に特殊器台・特殊壺を用いる大きな政治勢力があったことを窺わせます。


岡山市中区四御前に大神神社(おおが神社)があります。同じく岡山県瀬戸内市長船町東須恵にも美和神社があります。総社市八代にも神(みわ)神社があり、大物主を祭っています。私はこのプログでも以前述べたように、大物主は長脛彦ではないかと思っています。


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大神神社(おおが神社)

1000年以上、岡山市中区四御神に鎮座されている神々の社

四御神は「しのごしん(しのごじん)」が変化して「しのごぜ」と読みます。

「大神神社 四座」として、大神神社に祀られる四座の祭神が延喜式神名帳に記載されています。

四座~大物主神、少名毘古那神、三穂津姫神、大穴牟遅神


美和神社 (みわ神社:瀬戸内市長船町東須恵)

広高山(166m)の山上に鎮座する。広高山は古来、三和ノ峰と呼ばれており、奈良県三輪山と同様に神体山として崇められてきた。広高山の北麓には築山古墳・札崎古墳群、南麓にはサザラシ古墳群などの古墳が見られ、周辺は古来より人が住んでいた地域であった。大物主を祭る。


吉備(岡山)を支配していたのは、長脛彦で楯築墳丘墓は長脛彦の墓ではないでしょうか。

前回でふれた徳島県阿南市水井町には昭和30年まで稼働していた水井水銀鉱山があった場所は、かつては阿波の那賀郡(なか)と呼ばれていました。和歌山にもかつて那賀郡がありました。その地も長脛彦の支配地でした。長脛彦のナカは那賀郡のナガです。




※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




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tootake
Nov 25, 2023
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