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様々な卑弥呼(2)~瀬織津姫、稚日女、、、

更新日:7月30日

第391話


・瀬織津姫(セオリツヒメ)は神道の大祓詞に登場する神様で、罪や穢れを祓う浄化のご利益があるとされています。古事記や日本書紀では登場しません。その正体については謎めいており、さまざまな説があります。以下にいくつかの説を紹介します。参照:瀬織津姫~祓戸大神


天照大神荒魂説~瀬織津姫命は天照大神の荒魂(あらみたま)とする説があります。これは神道五部書に記されており、伊勢神道の経典とされる書物にもその記述が見られます。また、真言密教でも、瀬織津姫は祓いの神であり、天照大御神の荒魂でもあるとされています。天照大神は卑弥呼です。ということは、瀬織津姫命は卑弥呼です。参照:卑弥呼は萬幡豊秋津師比売命!!


・稚日女尊(わかひるめのみこと)は、日本神話に登場する神です。生田神社(神戸市中央区)や玉津島神社(和歌山県和歌山市)の祭神として知られています。高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていたとき、それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込みます。稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなった。それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまいます(日本書紀)。古事記では、天の服織女(はたおりめ)が梭で女陰(ほと)を衝いて死んだとあります。天の服織女は卑弥呼です。よって稚日女尊=服織女=卑弥呼です。参照:七夕幻想~機物神社


稚日女は若く瑞々しい日の女神という意味です。天照大神の別名が大日女(おおひるめ)で、稚日女は天照大神自身のことと言われています。生田神社では幼名と説明されています。

・丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神は、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊で、天照大神の妹神であるとしています。丹生都比賣大神も卑弥呼です。参照:丹生都比売神社


玉津島神社(和歌山県和歌山市和歌浦中)は、住吉大社、柿本大神(明石)とともに、和歌三神と言われています。和歌山の地名の由来です。稚日女のワカとは若ではなく和歌であったようです。参照:第377話:猿丸幻想(2)~柿本人麻呂

和歌山(和歌山市名草)は、ウツシコオ・ウツシコメ(卑弥呼)の出身地です。


私が最近注目しているホツマツタヱには、天照大神の諺名ワカヒトにちなんで名付けられた姉神、和歌の女神:和歌姫(ヒルコ 姫)の結婚前までの名前と記されています。スサノオがしでかした、屋根を破って斑駒(ぶちごま)を投げ込む暴挙によって、落下して来た馬に動転して、不運にも手に持つ梭(ひ)で身を突いて死んでしまったと伝えられているワカヒメは、天照カミ(天照大神)の中宮セオリツ姫(瀬織津姫)であり、玉津島神社に祀られている稚日女(ヒルコ姫)とは別人ということになっていますが、稚日女はオモイカネと結婚後、下照姫(シタテルヒメ)と名を改め、滋賀県天の安川=野洲で瀬織津姫の御子神、天忍穂耳命を養育したと記されています。オモイカネ(思金大神)は内色許男命(ウツシコヲ)です。稚日女はオモイカネとは夫婦ではありません。稚日女=卑弥呼=ウツシコメはウツシコオの姉です。滋賀県天の安川=野洲川は私が女王国とする地です。参照:狗奴国と女王国


その他、市杵島姫命、マシタ姫(細姫=孝元天皇妃)、玉櫛姫も卑弥呼です。

マシタ姫の名前と同じ味舌(摂津市)という地名が玉櫛(茨木市)の近くにあります。マシタ姫=玉櫛姫=市杵島姫命ということでしょう。


  :第340話:卑弥呼は市杵島姫命!!

  :第341話:卑弥呼は、市杵島姫命2


 瀬織津姫は龍神や弁財天と同一視されることもあります。


魏志倭人伝に出てくる個人名は3人だけです。

・卑弥呼、卑弥呼の後継ぎとされる卑弥呼の宗女、壱与(イヨ:トヨ)

・魏志倭人伝に出てくる地方長官は基本的にヒコ(卑狗)です

そして、大阪府茨木市にある奈良地区(私が生まれ育った場所です。)の地名は、天王(スサノオ=ウツシコオ)、玉櫛、五十鈴(トヨ)です。参照:魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



春の陽の暢気な巫女 / 弐ヶのん さんのイラスト - ニコニコ静画 (イラスト)


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jul 27
Rated 5 out of 5 stars.

九鬼水軍(くきすいぐん)は、戦国時代の水軍。志摩国を本拠とし、九鬼氏に率いられた。強力な水軍であった毛利水軍を第二次木津川口の戦いで破り、織田信長方の水軍として近畿圏の制海権を奪取した[1]。志摩水軍(しますいぐん)[2] とも称する。九鬼嘉隆は鉄甲船(鉄板で装甲した巨大安宅船)を建造した。


近代においても、日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。現在でも、海上自衛隊・海上保安庁の幹部などの参拝がある。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jul 27
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 多伎神社

参道の案内板によると、当社の創祀は、往古奥の院の磐座の信仰に始まり、崇神朝に饒速日命六代の孫・伊香武雄命が瀧の宮の社号を奉り、初代の斎宮となったとしています。

高い神階や、名神大社であったことから、当地の最有力豪族の物部氏族・小市国造(越智直)との関係を考える説が多いようです。

鎮座地「古谷」は隣接する「新谷」に対応し、古谷で祭祀を行っていた越智氏の一族が政庁を新谷に移し、当社を祭祀の場として残したものと見たり、大山祇神社が海上の大三島にあるため、陸地部にあって祭政を掌る越智氏が、かわりに多伎神社を祀ったのではないか、などとするものです。

多伎神社(たきじんじゃ)は、愛媛県今治市古谷に鎮座する神社である。式内社(名神大)で、旧社格は県社。「瀧の宮(多伎宮)」とも呼ばれ、伊予国内神名帳には「正一位 多伎不断大願大菩薩」とある。


祭神は多伎都比売命・多伎都比古命・須佐之男命である。


越智大島を始め伊予国(現在の愛媛県)各地には、源頼義が伊予守をしていた時期に甥の村上仲宗(信濃村上氏の祖)に命じて多くの神社・仏閣を建立させたという伝承が残っており、もともと伊予は信濃村上氏と縁のある土地であったとされる。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jul 26
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