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沙至比跪(サチヒコ)

更新日:5月25日

第328話


前回では、ヤマトが新羅内部まで攻め込むようになってきました。と書きました。

続きがあります。葛城襲津彦と同一人物として扱われている沙至比跪は百済記では朝貢を怠った戒めるために新羅国を攻撃に向いますが、港(とまり)で新羅の美女に出迎えを受けて惑わされて、攻撃先を加羅に変えてしまう。という記事が神功皇后摂政62年(BS382年)に百済記に曰くとして次のように書かれています。


新羅は、美女二人を将軍である沙至比跪(サチヒコ)に献上して言います。

「将軍は罪もない新羅を討とうとしておられますが、本当に討つべきは加羅です。加羅は、倭国に朝貢すると言いながら、その約束を果たしておりません。倭国が加羅を攻撃するなら我ら新羅も加勢しましょう。」


沙至比跪(さちひこ)はもちろんウツシコオです。参照:ヒコユキからウツシコオへ   ウツシコオの名前についての弁明 忌部氏(彦幸)~和歌山・名草


  ヒコユキ→彦幸→ヒコサチ 幸はサチともユキとも読めます。


サチヒコは、それも一理あると思ったか、それとも美女二人に目がくらんだのかこの提案に載ってしまいます。小国である加羅は一瞬で陥落し、加羅の国王、貴族は百済に亡命します。加羅国王は、倭国の横暴を百済王に訴え、将軍:木羅斤資(もくらこんし)の出動を要請します。さらに加羅国王は、妹の既殿至を倭国に派遣し、サチヒコの横暴を訴えさせます。倭王(崇神天皇?)はその話を聞いて怒り、サチヒコを呼び戻そうとしますが、サチヒコは帰りませんでした。そして天皇の怒りが解けないのを知って自害してしまいます。


まるで映画かTVドラマのような展開の話ですが、作り話ではないようなのです。


中国の資料*に「秦書曰、鮴堅建元十八年、新羅国王楼寒(ろうかん、ヌハン)遣使衛頭献美女」とあります。*当時の朝鮮では文字で記録を残していませんでした。


百済記逸文壬午年(382年)に貴国(倭国)は沙至比跪(さちひこ)を遣わして新羅を討たせようとしたが、新羅は美女2人に迎えさせて沙至比跪を騙し、惑わされた沙至比跪はかえって加羅を討ってしまった。百済に逃げた加羅王家は天皇に直訴し、怒った天皇は木羅斤資(もくらこんし)を遣わして沙至比跪を攻めさせたとあります。


ところが葛城襲津彦*ウツシコオは応神朝(応神14年BC400年前後)にも登場し、ここでも新羅に妨害されて来朝できない弓月君の一団を迎えに派遣されますが、3年経っても戻ってこない無能な使者の役回りで描かれています。


*ウツシコオは百済では「沙至比跪」、新羅では「葛那古」とその名が伝えられています。


日本書紀で「沙至比跪」、「葛那古」をまぬけな将軍としたのは、その後の神功皇后三韓征伐の記事と照らし合わせると理解できます。


ウツシコオは神功皇后の引き立て役に使われたのです。間抜けな将軍は実は中臣(藤原)氏の一族で朝鮮半島での失敗をウツシコオのせいにして記録からはもみ消したかったのだと思います。


これらの話は神功皇后紀に載せられているのですが、三世紀の話と四世紀の話がごちゃ混ぜになっています。なお倭が3~4世紀から5世紀にいたるまで新羅を攻めたのは史実です。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>


マリーローランサン「二人の女」



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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 24
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