第376話~猿丸大夫はウツシコオ
猿丸神社(さるまるじんじゃ)は、京都府綴喜郡宇治田原町にあります。ここは、第362話:伊勢遺跡~瀬田川が京治バイパス で書いた瀬田川沿いにあり、卑弥呼やウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)たちが栗東の伊勢遺跡から私が邪馬台国とする内里や巨椋池に向かう中間地点です。ちなみに瀬田川が宇治川に名前が変わるあたりが天ケ瀬です。天ケ瀬の天はアマ=アマツミ:海神族(海部氏・尾張氏)のアマでもあり、交野市私市の甘(アマ)でもあります。第314話: 海人族~ワタツミ、推古天皇は架空の天皇~交野市私市
猿丸神社は、瘤取り(がん封じ)の効験あらたかと喧伝されており、近畿一円から参詣者が訪れます。東大阪の石切神社(石切さん)と同じデンボの神様です。
猿丸大夫(さるまるのたいふ )は、三十六歌仙の一人です。大夫とは五位以上の位階を得ている者のことです。
小倉百人一首の「おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき」は猿丸大夫の作として知られています。
鴨長明の方丈記には、近畿内の名所を尋ねるくだりで以下のような記述があります。
「アハヅノハラヲワケツヽ、セミウタノヲキナガアトヲトブラヒ、タナカミ河ヲワタリテ、サルマロマウチギミガハカヲタヅヌ…」
このなかの「サルマロ・マウチギミ」というのは、猿丸大夫のことです。「サルマロ」は「猿丸」、「マウチギミ」は「大夫」です。これは古今和歌集序注にも、この猿丸大夫の「大夫」の字の脇に「マウチキミ」という振り仮名が付けられていて、ほかにも猿丸大夫を「サルマロマウチキミ」と読む文献があります。
方丈記が書かれた頃には、「大夫」は五位の官人の通称となっています、それ以前にさかのぼれば五位より上の高位の官人のことでした。「大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり」ということは、猿丸大夫は古今和歌集以前に遡るかなり古い時代の人物ということになります。ゆえに中世では猿丸大夫は五位ではなく、もっと位の高い人物のように見る向きがあり、「サルマロマウチギミ」と呼ばれたと見られる。「マウチギミ」とは天皇のそば近く仕える者、すなわち大臣や側近という意味であるとされています。
猿丸とは、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)ことではないでしょうか。
これはそれほど突飛な発想ではありません。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」が日本初の和歌とされれています。作者はスサノオ=ウツシコオです。
「サルマロマウチギミ」のマウチギミとは「うちぎみ」すなわち「内の君」=内里(京都府八幡氏)=邪馬台国の王ということです。
猿丸神社と石切神社(祭神は饒速日)はデンボ(腫瘍)繋がりです。
猿丸大夫はデンボの神であることから瘤取り爺さんでもあります。
猿丸は猿田彦=ウツシコオを連想させます。
次回に続く→猿丸幻想(2)~柿本人麻呂
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
猿丸大夫 狩野探幽筆「三十六歌仙額」より。
謎の多いこの二人について、哲学者の梅原猛が『水底の歌-柿本人麻呂論』において同一人物との論を発表して以来、少なからず同調する者もいる。
梅原説は、過去に日本で神と崇められた者に尋常な死をとげたものはいないという柳田國男の主張に着目し、人麻呂が和歌の神・水難の神として祀られたことから、持統天皇や藤原不比等から政治的に粛清されたものとし、人麻呂が『古今和歌集』の真名序では「柿本大夫」と記されている点も取り上げ、猿丸大夫が三十六歌仙の一人と言われながら猿丸大夫作と断定出来る歌が一つもないことから(「おくやまに」の和歌も猿丸大夫作ではないとする説も多い)、彼を死に至らしめた権力側をはばかり彼の名を猿丸大夫と別名で呼んだ説である。
しかしながらこの説が主張するように、政治的な粛清に人麻呂があったのなら、当然ある程度の官位(正史に残る五位以上の位階)を人麻呂が有していたと考えるのが必然であるが、正史に人麻呂の記述が無い点を指摘し、無理があると考える識者の数が圧倒的に多い。
名草神社(兵庫県養父市) - 別称「但馬妙見」
主祭神は名草彦大神で、副祭神は天之御中主神以下の造化三神ほか3柱。
北辰社 妻垣神社 | oyasumiponのブログ (ameblo.jp)
石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)
祭神:菟沙津彦・菟沙津姫
祭神の2柱は、かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる。
菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国の宇治(現在の京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。
辛嶋氏(からしまうじ)は、日本の古代氏族の一つ。宇佐八幡宮の社家の氏族であった。辛島・韓嶋とも。姓は勝(すぐり)。
春日神社 鹿 角
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子