第233話
下鴨神社の正式な名称は賀茂御祖神社で、祭神は玉依姫命と賀茂建角身命です。
玉依姫命は、勢夜陀多良比売、玉櫛姫とも三島溝樴姫(みしまのみぞくいひめ)ともいわれています。ちなみにオオタタネコは大物主の子で母は活玉依毘売(イクタマヨリビメ)です。一方、上賀茂神社の正式名称は賀茂別雷神社です。
山城国風土記には、賀茂別雷命について次のような記述があります。
賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の娘の玉依姫が石川の瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依姫は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命である。丹塗矢の正体は乙訓神社(注:下記)の火雷神であったという。
ということは、上賀茂神社と下賀茂神社はもともと玉依姫(玉櫛姫)を祭っていることになります。私は、玉依姫(玉櫛姫)は吾平津媛=アタ姫がではないかと思い始めています。
賀茂川のさらに上流にある貴船神社の祭神は、石長比売(磐長姫)です。石長比売は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)の姉です。木花開耶姫も玉櫛姫です。木花開耶姫の父は三島の溝杭であるとすれば、ウツシコオである可能性があります。玉櫛姫はウツシコオの娘です。石長比売は美人だった!~貴船神社
第232話では「内色許男命は武埴安彦命!」という記事を書きましたが、もしそうだとすれば、玉櫛姫は卑弥呼ということになります。なぜなら、ウツシコオ=長脛彦です。内色許男命は武埴安彦命!
(天日方奇日方命=黒速=鴨王=ウツシコオ=三毛入野=長脛彦=建甕槌)
ウツシコオの姉が卑弥呼です。長脛彦の妹が玉櫛姫なら、妹を姉とするだけで玉櫛姫=卑弥呼となります。
※玉櫛姫はウツシコオの娘ですのでまだ断定はしませんが、これからも検証を続けます。
今のところ卑弥呼は、紀ノ國の名草から来たウツシコオの姉のウツシコメであるという考えは変わっていません。卑弥呼は名草トベ~和歌山市:卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
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<蛇足の追記>
乙訓神社は京都府向日市向日町北山にあります。向日(むこう)はみんなが九州と思っている日向ではないでしょうか。六甲山(むこうやま)~地名からわかること
葵祭りの当日、上賀茂神社を訪れた勅使は、祓いの水である「ならの小川」の上に設けられた「橋殿(舞殿)」で天皇からの祈りの詞(ことば)を伝えます。ならの小川とのならで奈良、茨木市にある奈良と男山市にある奈良と関係があるはずです。本当の奈良
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫