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玖賀耳之御笠(クガミミ)

更新日:11月6日

第458話 #クガミミ #日子坐王 #邪馬台国 #台与 #ヤマトタケル


丹後国風土記残缺によると陸耳御笠(くがみみのみかさ)は、古代の丹後国にいたと伝えられています。ただし、唯一の出典とされているこの丹後国風土記残缺は偽書であると思われます。


丹後国風土記残缺によると、由良川の下流に陸耳御笠と言う土蜘蛛が暴れていたため、崇神天皇が弟の日子坐王を派遣してこれを討ったとされています。


この話は前回の記事、熊襲建(クマソタケル)こと川上梟帥を小碓命(ヤマトタケル)が討伐する話と同じです。陸耳御笠が川上梟帥でヤマトタケルが日子坐王(彦坐王)です。


ヤマトタケルと日子坐王は台与です。日子坐王は開化天皇の子とされ、台与が五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)であるなら同じく開化天皇の子とされています。参照:ヤマトタケルは台与 このブログでは開化天皇=大彦=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=饒速日です。


陸耳御笠(くがみみのみかさ)は土蜘蛛とされていますが、御笠と尊称が付けられています。第446話:笠水彦・笠水姫:笠水は水銀 で書いたように笠=笠水は水銀のことで御笠は陸耳御笠は笠水彦、つまりウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の事と思われます。


久我神社(くがじんじゃ)は、京都府京都市北区紫竹下竹殿町にあり、祭神は賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)の1柱です。賀茂建角身命 は角が付いているのでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。参照:第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、


陸耳御笠のクガは以前にも書いたように京都府伏見区久我〒612-8494です。京阪電車の丹波橋の近くです。邪馬台国の時代は亀岡が中心の丹波(但馬=投馬国)の入り口で丹波に属していたと考えられます。桂川の水運を押えるていたのがクガ耳(玖賀耳之御笠)です。山崎津と玖賀耳之御笠


おそらくクガ耳を討伐したのは保津川の水運利権、水銀などの鉱物採掘を巡る利権争うでしょう。但馬随一の良港とされ、カニの水揚げで有名な柴山港(兵庫県美方郡香美)の旧名は丹生湊です。香住町柴山のには丹生神社があります。この辺りは金山もあり、「丹生の研究」によれば、丹生神社の旧社地あたりで採取した試料では水銀0.0032%だそうです。

このことによっても陸耳御笠(クガミミ)が群盗を集め、民の物品を略奪したとする丹後国風土記残缺は偽書であることが分かります。現在、風土記残缺は中世から近世にかけて作られた偽書と推定されています。


丹波(但馬=投馬国)は、ミミやミのつく地名(陸上、岩美、香住)は山陰から若狭地方にかけて数多く残り、丹後半島は久美浜湾を一大拠点として丹後海人族(海部氏;安曇族)の勢力圏と考えられています。耳井(みみい)神社(城崎郡奈佐郷宮井)もあります。ミミは尊称、南方海人系のもの、金属と繋がりがあるといいます。


ここでも陸耳御笠=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は日子坐王(彦坐王)=台与によって大江山の鬼として退治されてしまいます。参照:第421話:鬼の正体


丹後国風土記残缺では、陸耳御笠は與佐大山に逃れたといいます。與佐大山とは大江山のことでしょう。ここでも陸耳御笠=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は命だけは無事だったようです。



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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