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磐井の乱と台与

第427話 #磐井の乱 #台与


継体天皇の在位時に起こった有名な事件と言えば磐井の乱です。

日本書記によると、継体天皇21年、大和朝廷の将軍:近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑(朝鮮半島南部の地名)を回復するため、任那へ向かって出発しました。この計画を知った新羅は、筑紫(九州地方北部)の筑紫国造磐井に対し、大和朝廷軍の妨害を要請しました。新羅の要請にのった磐井は挙兵し、火の国(肥前国・肥後国)と豊の国(豊前国・豊後国)を制圧するとともに、倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖して朝鮮半島諸国からの朝貢船を誘い込み、近江毛野軍の進軍をはばんで交戦したとされています。


豊後国風土記、豊西記、日田神社蒐集録等の資料などによると、磐井は名を鳥羽宿禰(石井源太夫・乎止與命)と名を変え日田の国造として娘を橘氏と縁組させ新たな倭王(継体)を擁立させたとあります。


私は、第409話:尾張氏と草薙剣 で、すで石井源太夫(いわいげんだゆう)尾張国造小豊命=尾張国造と記される乎止與命と書いています。


注:台与は女性ですが、藤原不比等・記紀の作者は、日本の天皇家が「男系天皇」を継続してきたとしたいことから、「天皇家は万世一系」とするためにトヨ=豊受姫が13歳の少女ではまずいので男性として記紀には記載しています。


鞍手(福岡県)の熱田神社の文書には「磐井は孝元天皇の長子の系統で大彦命の血を引く筑紫国造とされており、、」と記されています。磐井は阿蘇ともいい、崇神天王=中臣氏のことであり、敗北した磐井は鳥羽宿禰(石井源太夫 乎止與命)と名を変えて尾張氏の始祖となり継体と縁組したと伝えられています。


第369話:神武西征~健磐龍命では健磐龍命は、阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)と同一人物とする説があり、現在は阿蘇神社の祭神として知られ、阿蘇大明神という神号を持ち、さらにのちには阿蘇山の火山神としても崇められています。と書きました。

磐井は阿蘇ともいい、崇神天王=中臣氏のことであることから、磐井は阿蘇で健磐龍命(たけいわたつのみこと)=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王のことでしょう。ということは磐井が敗北したというのもフィクション(作り話)だと思われます。

磐井の乱などはなく、どこかの地方豪族の反乱を脚色したというのが本当の話ではないでしょうか。※注(下記)


「敗北した磐井は鳥羽宿禰(石井源太夫 乎止與命)と名を変えて尾張氏の始祖となり継体と縁組したと考えられています。」を敗北したを省いて言い換えると「磐井は鳥羽宿禰=石井源太夫=乎止與命=台与は尾張氏の始祖であり継体天皇である。」となります。

第422話:継体天皇はトヨ(台与)です。

※磐井は阿蘇=阿蘇都彦命=健磐龍命=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ですが、台与は、この頃ウツシコオと行動を共にしていたとすれば、磐井=阿蘇=阿蘇都媛※阿曽姫:後述:阿蘇都媛は台与


石井源太夫は「摂州西宮蛭兒之後胤」といいこれは兵庫県西宮市に鎮座する西宮神社の蛭児大神の子孫と伝わっている蛭児大神こと事代主神です。蛭児大神=事代主神もウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。参照:第275話:事代主もウツシコオ?


豊後国志では、「鳥羽の宿禰が日田国造となり刃連に住まい常に庶民に会す。以て耕の事を教え常に同居し、名づけて会所宮というのは是なり。日田で初めて水田が開かれたことから“田始播”=田島と呼ばれるようになった」と記されています。台与=ヤマトトモモソは農地の開拓が得意であったことはすでに述べています。ヤマトトモモソ姫は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。参照:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??

鳥羽の宿禰が国造を務めた日田で魏の曹操の所持していた鉄鏡と同型の鉄鏡が発見されています。参照:日田:金銀錯嵌珠龍文鉄鏡3


<熱田の語源>

熱田神宮のある名古屋市熱田(あつた)区の地名由来は、俗説では日本書紀に見える「あゆち」に由来するとか、後世には東海道の「七里の渡し」があったことから、古くからの津渡を示すあ(接頭語)・つ(津)・と(所)の転などの説がありますが、いずれもこじつけです。


磐井が逃げたと伝わる豊前近く熊本県小国市「わいた温泉郷」の一つ「岳の湯温泉」にほど近い、中尾熱田神宮の境内下で、鳥居へ上る階段をはさんで左右に池があり、その2カ所から清らかな水が湧き出しています。かつては農作物に恵みをもたらす「神の水」と云われる水源があります。ここの水は温泉郷が近いためか、水は22~28℃と極めて高いのが特徴でまさに熱田の名にふさわしい水源です。この水が水田に引かれていることが熱田の語源と推測されます。



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*注~ほとんど詳細不明だった磐井の乱を具体的に叙述するために、「芸文類聚(げいもんるいじゅう)」によって日本書紀の編纂者が作文したとみるのが、むしろいいのではないかと思います。山尾幸久:立命館大学名誉教授 「継体大王とその時代」枚方市文化財研究調査会編集 P292




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>





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2 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Sep 01
Rated 5 out of 5 stars.

古代史俯瞰では、豊比売命が何故か「阿曾隈(あそくま)」。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Aug 31
Rated 5 out of 5 stars.

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