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豊御気主命は三毛入野!

第245話~三毛入野は神武天皇


茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえのむら)に隠れていたとことを見つけられたオオタタネコは名乗ります。

「僕(あ)は、大物主大神が陶津耳命の娘である活玉依毘売を娶って産んだ櫛御方命の子の飯肩巣見命の子の建甕槌命の子である。」


「邪馬台国と神武天皇」の著者である牧尾氏は古事記と地神本紀の系譜を照らし合わし、そこにおいて、古事記が記す大物主神から4世孫オホタタネコまでの父子直系系譜の下に、地神本紀の伝えるオホタタネコの子孫系譜を付け足すことができると指摘した上で、次のように述べておられます。


「クシミカタ命からオホタタネコ命を経てオホミケ持命に至る五代の系譜は、「地神本紀」が伝えるアメヒカタクシヒカタ命からトヨミケヌシ命を経てオホミケ主命に至る五代の系譜と実は同一の父子五代を伝える系譜であろう。従って、トヨミケヌシ命とは、オホタタネコ命の亦の名、その別称ないし尊称であろう。」(p.292より引用)


クシミカタマ━アダツクシネ━タケイイカツ━タケミカジリ━ミケヌシ━オミケヌシ

━タケイイカタス━オオタタネコ


天日方寄日方命→健甕尻命→豊御気主命→健飯賀田須命→大田田根子


櫛御方命(くし・みかた)は天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがた)のことです。

健甕尻命は建甕槌命(タケミカヅチ)のことです。

アダツクシネも天日方奇日方命のことです。アダは反逆者(タケハニヤス)、筑紫(遠国)です。


ミケヌシ━オミケヌシ=豊御気主命のミケが三毛ではないかというのが、私の考えです。つまりトヨミケ主は三毛入野です。神武天皇には兄が三人います。長男が彦五十瀬、次男が稲飯、三男が三毛入野です。賀田須命は次男の稲飯でしょう。


タマヨリビメ(玉依毘売;古事記)またはタマヨリヒメ(玉依姫;日本書紀)は、神武天皇(初代天皇)の母です。子に五瀬命、氷命、御毛沼命(三毛入野)、若御毛沼命(神武天皇)がいます。


神武天皇は大和に入るのに熊野へ迂回したとされていますが、実は熊野への道はう回路ではないとされるのは、「謎の四世紀」の著者である上垣内憲一先生です。「熊野に鎮座する熊野三山の祭神にの中に三毛入野(ミケイリノ)に通ずる名前をもつものがあることと関わっている。すなわち、熊野本宮の主神である家津美御子(ケツミミコ)大神である。これだけでは、三毛入野との関りがわからない、という人もいるであろう。それに対しては、出雲にある熊野大社の名前を参照することで答えよう。出雲の熊野大社の祭神は櫛御気野命(クシ・ミケヌ)とされる櫛=クシ「奇し」であり、霊妙を意味する美称である。ミケヌが名前の本体である。この名前がミケイリノによく通ずるのである。」「謎の四世紀」p137]


牧尾氏は「架空の天皇である。実在した天皇ではない」としながらも、「実在の人物を下敷きにして物語が作られている」と述べ、古事記のいうところの、神武天皇の名、ワケミケヌ、又の名トヨミケヌ、又の名カムヤマトイワレヒコ。これはオオタタネコの又の名トヨミケヌシ(豊御気主)に同じことから、牧尾氏は神武天皇の正体は、オオタタネコその人であったと推定されておられます。p298


豊御気主が三毛入野であるとすれば、神武は三毛入野であり、長脛彦です。

戸矢学著「ニギハヤヒと先代旧事本紀」p167によりますと、崇神朝に祟りをなした「神宝」こそは、長脛彦の御霊代である天叢雲剣であるとされています。大物主は長脛彦

神武天皇が長脛彦と戦った話はもとより架空です。

オホタタネコは古事記の崇神天皇事績譚の冒頭を飾る説話の主人公であり、三輪山の神である大物主神を祭祀した人物で、神君(ミワのキミ)、鴨君(カモのキミ)の祖でありと牧尾氏は述べられておられます。鴨君は三島の溝杭=河川の支配者です。


神武天皇は、現在の九州から中国地方を西に向かい、難波から紀国(和歌山)にまわり、大和へと侵入しています。三毛入野を祭る神社は山口県に数か所あり、高千穂にも三毛入野を祭る神社があります。


関連項目:長脛彦の物語

    :玉依姫


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。






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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Mar 10
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 孝霊天皇    │   │      │   ┝━━━━━孝元天皇   │      │  細媛命     │          │          ┝━━━━━━武埴安彦命          │       │  河内青玉繁━━埴安媛      │                  │                 吾田媛

日本書紀』によれば、孝元天皇(第8代)と河内青玉繋の娘の埴安媛(はにやすひめ:波邇夜須毘売神とは異なる)との間に生まれた皇子である。妻には吾田媛(あがたひめ)がいる。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 29
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