第119回~三種の神器は実用品
BC216年 第1章 和歌山県名草3 第一話(邪馬台国前史1)はこちらです。
BC216年 16歳となった彦幸は、一人で熊野灘から茅渟の海を経て淡路島まで舟を進めること事が出来た。手置帆負と二人なら、阿波の鳴門の渦潮もものともせず巧みに舟を操るので、仲間からは、ウズヒコ、サオツネヒコと呼ばれるようになっていた。
姉の渚姫(トベ)は贅沢三昧で色んな宝石(玉)や鏡を手に入れては、次々着物を新調し楽しんでいた。父の大名草彦は、大歳から国中の水運全般を任され以前に増して裕福になっていた。
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天富命は、神武東征においては、手置帆負命・彦佐知命の二神の孫の讃岐忌部・紀伊忌部を率い、紀伊の国の材木を採取し、畝傍山の麓に橿原の御殿を作った。また斎部の諸氏を率いて種々の神宝・鏡・玉・矛・楯・木綿・麻等を作らせ、そのうち櫛明玉命の孫の出雲玉作氏は御祈玉を作った。『先代旧事本紀』…神武天皇の条
彦狭知命は、天の岩戸神話の際、手置帆負命(たおきほおひのみこと)と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営しました。
古語拾遺(807年)の「天中の三神と氏祖系譜」条に、太玉命(ふとたまのみこと)が率いた神の1つとして、「手置帆負命(讃岐国の忌部が祖なり。)」とあり、この「手置」とは「手を置いて物を計量する」意味と解釈されている。また、同書「造殿祭具の斎部」条には、「手置帆負命が孫、矛竿を造る。其の裔、今分かれて讃岐国に在り。年毎に調庸の外に、八百竿を貢る。」とあり、朝廷に毎年800本もの祭具の矛竿を献上していた。このことから竿調国(さおのみつぎ)と呼ばれ、それが「さぬき」という国名になったという説がある。ウィキペディア(Wikipedia)
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BC210年 彦幸10歳 渚姫12歳
名草姫は、読み書きもできた。木の皮を剥いで乾かせた物に炭で文字を書いていた。魏の文字だ。毎日、鏡と勾玉、時には銅矛をおともに持たせて、外に出かけていた。
自分には、何も買って貰っていない彦幸は、少し不満だった。
そんな彦幸に渚姫は言った。
「これはな飾りやないんや。ちゃんとした使い道があるんや。教えたる」
渚姫は、手元にあった鏡を彦幸に手渡した「背の模様をよう見てみ。”ここ”と”ここ” ほんでこの模様を結ぶと三角になるやろ。ほんで縁がちょっと反りあがってるやろ。ここの角度がこの矛とおんなじやねん。」渚姫は、しゃべり続けた「ほんでな、この鏡で東西南北が分かる方法はな、お日さんが、この位置にきたときに、、、、、」
「ほんでな、この玉はなこうやって紐を通すと三角の線ができるやろ、、、ほんでこの玉は子持ち玉いうて三っつの出っ張りがあるやろ、、、、」
その日のうちに、彦幸は姉の言っていることを理解し、次の日には手置帆負命を連れ、天御量(あまつみはかり)を船に積んで勇んで海に出た。
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古村豊著「卑弥呼の道は太陽の道・邪馬台国編」でこう述べられいます。
「三種の神器は、祭祀用であれ王の権威であったとしても具体的な使用目的がなければならない。このような考えから、三種の神器は古代人の測量機器(測器)であることが判明した。特に方格規矩鏡は、幾何学の基本を文様に刻み、三角縁神獣鏡は陸上(へつ)で方位、長さの原器となる鏡であった。」とされています。
子持ち勾玉は古代の測量の道具ではなかったという説を掲げたのは、古村氏以外にもおられ、茂在虎雄氏(東京商船大学名誉教授)は、天日鉾がもたらしたと伝えられる八種の宝物を航海用具と推測し、鏡が太陽羅針盤、子持ち勾玉は玉と緒と、緒に付けた結ぶ目によって太陽の高さ(角度)を測る道具になりことを指摘されておられます。
{参考文献}三天法による神社配置の法則 三橋一夫著 p220
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南紀と鉄砲
鉄砲天文12年(1543)8月25日(種子島の門倉岬)に明国船の姿現われ、三名のポルトガル人(南蛮人)により鉄砲火薬その他西欧文物が伝えられました。根来寺(和歌山県岩出市根来)の杉の坊算長(津田監物)は自ら種子島に渡り、鉄砲と火薬の製法を習いこれを根来の地に持ち帰りました。その鉄砲と同じ物を根来坂本に住む、堺の鍛冶師、芝辻清右衛門に製作させたのが本州最初の鉄砲と言われています。このことにより、2つのことが分かります。
1)和歌山(南紀)は、種子島と交易があった。つまり直接、根来寺杉の坊は舟で直接海を渡って行けた。古代から、この地区の人は、難所の熊野灘をものともせず舟を操ることができた。
2)南紀の人々は、初めて見た鉄砲の仕掛けを理解し、すぐさま複製を作る能力があった。
南紀の人は、日本でも有数の科学知識を持っていたといういうことです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
方格規矩鏡
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