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金屋子神は五十鈴姫

更新日:2023年12月28日

第185話~金屋児神社とたたら製鉄


島根県出雲地方は、古来より「たたら」と呼ばれる伝統技法による製鉄が盛んに行われていました。たたら(蹈鞴)とは元来ふいご(風を送る道具)の意味で、「たたら製鉄」とは粘土製の炉の中に、原料(砂鉄)と、燃料(木炭)を交互に装入し、砂鉄を溶かして鉄の塊を得る技術です。その由来は大変古く、技術とともに大陸から渡って来たと思われています。たたらや鍛冶、鋳物等に携わる人々は、金屋子神と呼ばれる鉄の守護神を信仰していました。


各地にある製鉄に関する伝承を挙げて見ると、


島根県能義郡広瀬町西比田の金屋児神社(県文化財)に伝わる「金屋子祭文雲州比田の伝」によると、ある時村人が集まって雨乞いをしていた所へ、雨と共に播磨の国岩鍋(千種町岩野辺)に、我は金作りの金屋児神であるぞ、今より悪魔降伏、人民安全、五穀豊穣のことを教えようと、磐石をもって鍋を作られた、故にこの地を岩鍋というようになったと。神はこの土地に永く住み給う山もなく、白鷺に乗って西国へ、そして出雲の奥比田山のとある桂の木に降りられた。たまたま狩猟に出ていた安部正重という人が神のお告げを受けて神主となり、長田兵部朝日長者なる人が粉鉄を集めてこれを吹いた(製鉄した)。これが出雲の国のタタラ稼業の始まりだと伝えています。

天之日矛が移り住んだとされる兵庫県宍粟市(旧千種町)では、各鉄山の技術、文化がありその影響を多分に受けて、岡山県英田郡西粟倉村も鉄の産地として繁盛していました。今もその遺構は、杉葉等で隠れてはいるが立派に残っていて、往時を偲ぶことができます。村内には大茅の他、塩谷、谷口、引谷地内にもあって、このタタラ場には必ず守護神として祭祀した金屋児神という神様がありました。

雲南市吉田村の「菅谷たたら」は、映画「もののけ姫」に登場する「たたら場」のモデルとなりました。ここには、たたらの製鉄炉と建物(高殿)が日本で唯一保存されており、たたら師たちの生活を今に伝えています。


金屋子神(かなやごかみ、かなやこかみ、等)とは、中国地方を中心に鍛冶屋に信仰される神で金屋子神の総本社とされる島根県安来市広瀬町西比田にある金屋子神社には、以下の伝説があります。


高天原(三島御牧)から、雨乞いをしている村人に応えて、播磨国志相郡岩鍋(現在の兵庫県宍粟市千種町岩野邊)にまず天降った。しかし、自ら、元々西方に縁のある神であるとの理由で、白鷺に乗って、西方の出雲国能義郡黒田奥比田(現 金屋子神社の社地)の山林に着き、桂の木にて羽を休めていたところを宮司の祖先である安倍正重が発見し、長田兵部朝日長者が桂の木の横に神殿を建立したという(途中、吉備国中山にも立寄ったとの伝説がある)。各地で金屋子神は自ら村下(むらげ:鍛冶の技師長)となり、鍛冶の指導を行ったとされる。

比田村(島根県能義郡)には、金屋子神社があり、伊邪那美命が、迦具土の命を生み給うてから、病に罹られ吐物から金山毘古神、金山毘売命を生み給い、遂に神避り給うたことを「古事記」に記されており、「日本書紀」には金山の意味を、枯れ悩みこし、悶熱懊悩因為吐の文字があるが、金屋子神社は、社号其の物が己に枯れ悩み児の意義を現し、加之金山毘古、金山毘売の二柱の神を併せて祭って居るところを見ても、女神終焉の地たることを想像される。(島根県口碑伝説集 東比田小学校長辻勝太郎氏報)


金屋子神社より西方約40kmに石見銀山があり、当地に佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があり、この「佐毘売」は、金屋子神の別名ではないかと言われています。「さ」、「さひ」は鉄を意味していると推測されています。


佐毘売は、五十鈴(イスケヨリヒメ)のことでしょう。記紀では「佐韋河(さいがわ)の上」にある五十鈴の家があったと書かれています。


佐韋河は狭井川とされ、三輪山の麓を流れる川とされていますが、私は茨木市、摂津市を流れる安威川(あいがわ)だと思います。サイはsaiで、aiに音が通じます。なお五十鈴姫(御牧姫)の父親の開化天皇(大彦)の春日の皇居は率川(いさかわ)とされていますが、茨木市の春日の安威川だと思います。大阪府茨木市には、五十鈴(〒567-0000)という地名があります。五十鈴姫の母とされる玉櫛姫の玉櫛(〒567-0895)という地名と並んで存在します。にあるのでおそらく実在の人物でしょう。いさかわはisa川でsaiつまりサとイをひっくり返しただけです。


尚、饒速日尊や物部氏と関係が深いとされる三瓶山は古来、佐比売山と呼ばれていました。また、三瓶山の西約5kmに、石見国一宮で、石上神宮と表裏一体であると言われる物部神社があります。また、岡山県英田郡西粟倉村に伝わるタタラ唄に「金屋子神の生まれを問えば、元は葛城(三島) 安部が森」との言葉が残っています。


五十鈴はホト・タタラ・イスケヨリヒメです。古事記では、はじめ「富登多多良伊須須岐比売」(ホトタタライススキヒメ、ホトタタライススギヒメ)という名でしたが、のちに「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)に改められたことが示されてます。媛蹈鞴五十鈴媛、比売多多良伊須気余理比売


ホトは製鉄に用いる鞴(ふいご)です。タタラは蹈鞴(たたら)であることは言うまでもありません。


<関連項目>


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



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