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神武東征と稲作文化

更新日:10月31日

第486話 #稲作の伝播 #神武東征 #台与 #邪馬台国


13歳の少女である台与(豊:トヨ)が大和朝廷の始祖だということを隠したい藤原不比等は偽の大和朝廷の始祖を作らなければならなくなりました。対外的にも国内的にも自国の歴史書は必須のものだからです。そうして誕生したのが神武天皇です。


北摂で生まれたと思われる台与(豊)=大和朝廷の始祖が、なぜ九州から来たとされているのでしょうか。


邪馬台国(弥生時代)の時代に九州から、近畿地方にやってきたものは何かというと、それは稲作です。

現在、確認されている最古の水田跡は今から約2500~2600年前の縄文時代晩期中頃の佐賀県の菜畑遺跡(唐津市)で、これは干潟後背の海水の入り込まない谷間地の中央部に幅1.5~2.0mの水路を掘り、この両側に土盛りの畦によって区画された小規模(10~20平方メートル)のものです。農耕具としては石庖丁、扁平片刃石斧、蛤刃石斧、磨製石鏃などが出土しています。 同時代頃の宮崎県の坂元遺跡からも水田跡が発掘され、九州北部に伝わった水田稲作が大きな時間をあけずに全国に伝わったことを示しています。


九州北部で始まった本格的な水田稲作が、どのような過程を経て近畿に伝わったのか、という弥生稲作の拡散は、遠賀川式土器や高身長の人骨が西日本の広い範囲に短期間で拡がる事実を根拠とする直接伝播説があります。1931年、福岡県北東部を南北に流れる遠賀川の河床から見つかった土器と、大阪府高槻市で見つかっていた安満遺跡で見つかった土器との類似性に注目した小林行雄(考古学者:京大名誉教授)によって、1932年に設定されたのが遠賀川 式土器です。小林氏はこの土器をもとに、近畿の弥生文化成立に関わる重要な指摘をしておられます。参照:第309話:邪馬台国は北摂!!


また、イネのDNAから考えると、神武東征や日本建国の物語は基本的に正しいとする説もあります。神武東征の出発地とされる日向(宮崎県)のイネのDNA(RM1)は、日本では珍しい「c」というタイプだそうです。そして、吉備のイネのDNAは、日向と同じ「c」です。神武は吉備の高島宮で8年過ごしたとされています。日向の籾を吉備に運んで栽培した可能性を示しています。さきほどの直接伝播説とは別に中部瀬戸内(吉備)を媒介とする間接拡散説があり、玄界灘沿岸地域→西部瀬戸内・中部瀬戸内→近畿という二段階の間接拡散 説が中心となっています。出典:国立歴史民俗博物館研究報告 第108集 2003年10月


一方で、当時の人々の脅威となったのが洪水です。稲が実った田んぼで洪水が起こると、その後の1年間、食糧が不足します。そこで豪族たちは鉄器を活用して、灌漑用の溜め池を掘らせ、水路の整備も広範囲に行いました。そうして、川からずいぶん離れた平野や盆地にまで、田んぼが作られるようになったのです。後に豪族たちはこの土木技術を応用して、古墳を作ります。やがて、豪族たちの小さな国が統一されて邪馬台国(大和朝廷)となり、今の日本の基礎ができたと言われています。参照:第396話:邪馬台国でも水害発生!!


古墳時代には鉄器が日本全土へ広く普及すると共に土木技術も発達し、台与(豊)が関わっていたと思われる茨田堤などの灌漑用のため池が築造されました。


記紀の作者たちは、台与が稲作、灌漑などの技術を持った秦氏と行動を共にしていたことを知っており、また、九州の日向(宮崎県)のイネの「c」というタイプの稲が九州から近畿に広まったことから、神武天皇=台与(豊)が宮崎から近畿にきたものとしたのでしょう。


第483話:饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作でも書いたように台与(豊)は饒速日=大歳神で農耕の神です。


{参考文献}



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








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3 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Oct 30
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誰もが知る日本の国歌の君が代。幾重にも石に例えて歌われていることから、イワナガヒメをモチーフにしたという説があります。

 

和歌である君が代は様々な解釈ができますが、歌詞だけを見ると「石」→「巌」→「苔むした巌」と石に例えて長寿を重ねる様を表しています。

 

イワナガヒメは石(岩)の神であると同時に長寿の神様です。さらに「苔牟須売神(コケムスヒメ)」という別名もあります。

 

考えてみると、イワナガヒメをないがしろにしたことで短命となったニニギノミコト。その子孫の国歌が、「細石が巌になり苔むすまで」と長寿を讃え祈る歌詞となったのは必然かもしれません。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Oct 30
Rated 5 out of 5 stars.

津軽の口承

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かつて盲人が峠の空家に泊り、寂しさを紛らわすために歌を歌っていると、歌を所望する女の声が聞こえたので、何曲か歌ってやった。夜明けの頃、女の声は自分を「たこ」と名乗り、自分のことを話せば命はないと戒めた。

里に降りた盲人が、つい村人に昨晩のことを話すと、そのまま死んでしまった。そこに「たこ」が現れ、村人たちに対しても、自分のことを他言した者は死ぬ上に村は沼に沈むと言った。そこで村人たちが峠の周囲を鉄柵で覆うと「たこ」は峠に帰れなくなり、そのまま死んでしまい、その正体はヘビであった。村人たちは「たこ」と盲人を神として祀り、これが後のおしら様だという[7]


日本の民間信仰

俗信の神仏

祈願・除災の神仏

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