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ヤマトタケルは台与

更新日:6 日前

第439話


内津神社は愛知県春日井市内津町にあります。東国の平定を終えた日本武尊(ヤマトタケルはが内津峠に差し掛かった時、早馬で駆けてきた従者から副将軍である建稲種命が駿河の海で水死したとの報告を受けました。それを聞いた日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆き、その霊を祀ったのが内々神社の始まりといいます。


建稲種命(たけいなだねのみこと)は景行天皇と成務天皇の二代の間、朝廷に仕え、日本武尊東征の際、副将軍として軍を従え、軍功を挙げたとされ、熱田神宮・内々神社・幡頭神社・羽豆神社・成海神社・尾張戸神社・八雲神社などに祭られています。


建稲種命の父は尾張国造・乎止与命とされています。この尾張国造・乎止与命が台与であることはすでに述べています。参照:とよ(乎止与命・台与・臺與)

※台与は女性ですが、藤原不比等・記紀の作者は、日本の天皇家が「男系天皇」を継続してきたとしたいことから、「天皇家は万世一系」とするためにトヨ=豊受姫が13歳の少女ではまずいので男性として記紀には記載しています。

ということは建稲種命が台与である可能性が出てきました。というのも建稲種命は誰かの配下になるような人物ではありません。建稲種命は海部氏勘注系図の最初に出てくる大王クラスの人物です。丹波国造について先代旧事本紀の「国造本紀」では尾張国造と同祖で建稲種命四世孫の大倉岐命を祖と記し、同書「天孫本紀」では饒速日尊(天火明命)六世孫の建田背命を祖と記すように、天火明命を祖とする尾張氏系と彦火明命を祖とする当一族との関連性が見られます。参照:hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??


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海部氏勘注系図によると建稲種命は、志理都彦命の親世代の十二世孫の本宗上には建稲種命(たけいなだねのみこと)が載り、こちらの分注には「亦云、彦大毘毘命」と開化天皇の和風諡号が見えることから、建稲種命は天皇の投影だと捉えられます。その子に当たると思われる志理都彦命は「記紀」の天皇世代に当てはめると崇神天皇が該当します。


建稲種命(十二世孫:開化天皇)―志理都彦命(十三世孫:崇神天皇=五十瓊敷入彦命、珍彦)―川上眞稚命(十四世孫: 丹波道主命、五十瓊敷入彦命之御子)

十二世孫の倭建命(ヤマトタケル)を祖とする系譜にはもう一つありそれは日子坐王、丹波道主命(川上眞稚命)となっています。川上眞稚命こと丹波道主命の系譜と倭建命の系譜は同一で、もう一つの系譜を重ね合わせると輪郭が明確になります。

倭建命(十二世孫:建飯片隅命、建甕槌神)―日子坐王(十三世孫:大田田命、大田々根子命、若建王、息長田別王)―丹波道主命(十四世孫: 川上眞稚命、)―迦具夜比売命(かぐや姫)


~~~引用終わり~~~


上記を単純化すると、建稲種命=倭建命(ヤマトタケル)=川上眞稚命=丹波道主命=迦具夜比売命(かぐや姫)と系譜が見えてきます。川上眞稚命は川上梟帥です。参照:熊襲建=川上梟帥とヤマトタケル


前回では、ウツシコオは但馬・亀岡の開発を行い孝霊天皇(=孝元)=饒速日の宰相となります。実力をつけたウツシコオは孝霊天皇=饒速日を殺害します。と書きました。

この事件に対する反発勢力を鎮圧するために、ウツシコオ=スサノオは台与とともに日本各地を平定して回ります。これが日本武尊(倭建命:ヤマトタケル)の伝説となったのです。


ところで、内津神社のある内津という地名が気になります。内はウツシコオ(内色許男命)の内です。


うち‐つ‐くに【内つ国】とは、 都のある国。

「東のかた胆駒いこまの山を踰こえて、―に入らむと欲す」〈神武紀〉

「皇師(みいくさ)中洲(ウチツクニ)に趣かむと欲(す)」(熱田本訓)

日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆きとあるのは「内つ国」のことを知らない人がかってに「うつ」を「うつつ」と解釈したからです。参照:宇都志国玉神と宇都志日金拆命


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


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