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八咫鏡・石凝姥命

更新日:12月2日

第511話 #八咫鏡 #石凝姥命 #邪馬台国 #台与(豊)


前回書いたように、三種の神器は、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。


八尺瓊勾玉については、前回書きました。天叢雲剣は第493話:熱田神社~大阪府寝屋川市太秦で書いたように寝屋川市の蔀屋北遺跡(しとみや・北遺跡)で造られたと思います。どちらもウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王と台与(豊)のコンビが関係していました。というならもう一つの三種の神器である八咫鏡はどうでしょうか。

八咫鏡を造ったのは石凝姥命(いしこり)とされています。


石凝姥命は天岩戸開きの祭具製作にあたって鏡を製作し、天孫降臨に際しては五伴緒として他の四神と共に日子番能邇々芸命に従って天降りしています。作鏡連等の祖です。


まず不思議に思うのは、石凝姥が女性とされている点です。かなりの重労働と思える鏡作りの作業の祖がなぜ女性なのでしょうか。


書紀では「石凝姥(神・命)」「石凝戸辺」とあることから石凝姥は女性であるとされています。イシコリについて、「鋳(い)凝(しこ)り」と見て、鋳造における溶鉄の凝固と解する説や、「石凝」と見て、石を切った鋳型に溶鉄を流して固まらせると解する説があります。戸辺(トベ)は、女性の首長のことです。


日本書紀では、一書第一では「石凝姥」ですが、第二では「鏡作部が遠祖天糠戸」になっており、第三では「鏡作が遠祖:天抜戸が児:石凝戸辺」になっています。古語拾遺:崇神天皇の段には、斎部氏に命じて石凝姥神の後裔と天目一箇神の後裔の二氏を率て鏡を鋳、剣を造らせて護身の御璽としたとあり、天石屋戸神話における二神の事跡とつながっています。

第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命では、天之御影神=天目一箇神は製鉄に関する神でその実態は辛国息長大姫大目命としています。第466話:辛国息長大姫は台与!

ということで、石凝姥命も台与(豊)です。


書紀一書で「天糠戸」となっていることについて、この神名が、戸をヌク意で、石凝姥が作った鏡の威力で戸の外に連れ出したことに由来する説話的命名と見て、これが古事記の始祖伝承に付け加えられて書紀一書の伝承が成り立ったという可能性を考える説があります。

平田篤胤は、「天糠戸」は天火明命の別名としています。天火明命は台与(豊)です。

では、火明命は台与(豊)としています。


第67話:鏡作神社~奈良県田原本町では、田原本町は、孝霊天皇の黒田庵戸宮のあった所で、古代の大和国城下郡鏡作郷で、近くに鏡作神社が6か所もあり、また弥生時代の代表的遺跡である唐古・鍵遺跡(国の史跡)もあります。と書きました。

鍵・唐古遺跡は孝霊天皇の黒田庵戸宮の近くで、ヤマトトモモソ姫は7歳までこの地にいたとされています。ヤマトトモモソ姫は台与(豊)です。~倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ


*このブログでは、石井(いわい)源太夫石衝毘売命(いはつくびめ)、磐井などイワ(石、岩)が付く人物は台与だととしていますので、石凝姥命も台与(豊)でしょう。

石~いし・イワ(岩)は台与のキーワードです。


作鏡連等の祖が女性なのは、黒田庵戸宮にいたヤマトトモモソ姫=台与が鏡作りに関与していたからだと思われます。




※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






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