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六万体地蔵~天王寺

更新日:12月12日

第528話 #泥くじり祭 #六万体地蔵 #邪馬台国 #六万体町


前回の鶴の恩返しの舞台は交野(高天原)では「この伝承がさらに興味深いのは、一乗寺(枚方市)所蔵の天ノ川鈴見地蔵尊縁起には、鈴見の親孝行を聖徳太子に嘉せられて六万体の随一なる地蔵尊を授けられ、 鈴見父子は百年長生きの往生を成し遂げた。」と書きました。鶴の恩返し=枚方に伝わる「鶴女房」の話に何らかの事実があるとするならどこかに六万体の地蔵があるはずです。


そして、大阪にはいくつか六万体地蔵があるのです。有名なのは大阪市天王寺区夕陽丘町にある四天王寺支院の光徳山真光院の六万体地蔵です。推古天皇2年に聖徳太子が父の用明天皇の追善供養のために六万体の地蔵尊を刻んで納めたという伝承が残っています。いまも真光院の東には「六万体町」という町名があり、工事などをして周囲の地面を掘り返すと、よくゴロゴロと地蔵がでてくるといいます。


上本町の六万体地蔵は、またいろいろと伝承が違って四天王寺参道の庚申街道にあった道祖神といいます。摂津名所図会には六万体地蔵の説明があり、それによると江戸時代には六万体地蔵の前で毎年12月16日に「泥くじり祭」というのがあったといいます。


六万体地蔵に鰯を供えて顔に米粉を塗り、笹にみかんやせんべいをつけて供養し、夕刻になると藁を焚いて地蔵さんの顔を泥のように真っ黒にして、その前で「明年の、明年の」と囃しながら踊ったというものです。この行事は第513話:左義長:とんど焼きや第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊)書いたのと同様の行事で年神(大歳神)を祭る行事であると思われます。年神・大歳神・歳徳神は、大歳=饒速日=台与(豊)です。


「今年も無事に年が明けるぞ」と地蔵さんに感謝するということです。この「泥くじり」は、おそらくは「道祖神」と同義語の「道禄神」(どうろくじん)が訛った言葉だろうと思われます。道祖神はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です

第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第267話:岐神~クナトの大神 第442話:双体道祖神 第268話:塞の神サイノカミ(幸の神)はデクノボー  


道祖神はおもに長野県や山梨県などによく見られますが、大阪や京都、兵庫ではほとんど見るけられません。これは近畿地方が早くから仏教が普及していためでしょう。近畿地方では

街角に立っておられるお地蔵様が道祖神なのです。


六万体町(ろくまんたいちょう)は大阪市天王寺にあり丁番を持たない単独町名です。

天王寺区の西部に位置し、東に上汐、西の南側に夕陽丘町、北側に生玉寺町、南に四天王寺、北に生玉前町と接していて、聖徳太子ゆかりのある地です。

聖徳太子は台与(豊)です。~第478話:天王寺の亀と酒船石


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大阪市内にある邪馬台国



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Dec 11
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