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虚空蔵菩薩は台与!!

更新日:10月14日

第467話 #秦氏 #虚空蔵寺 #辛嶋氏 #宇佐氏


前回でも述べた辛嶋氏の本拠地辛嶋郷の宇佐で、この地に最初に建てられた仏教寺院を虚空蔵寺と言います。7世紀末、白鳳時代に辛嶋氏と宇佐氏によって創建され、壮大な法隆寺式伽藍を誇ったといいます。


飛鳥時代すでに、斑鳩の法興寺(飛鳥寺、後に元興寺)には虚空蔵菩薩があって、7世紀には大和の地に居住する渡来人(秦氏・息長氏)、とくに製銅・製鉄・鍛冶・冶金あるいは養蚕・織物・漆製造・漆工芸を職能とする技術者の間で虚空蔵信仰があったことが知られています。宇佐地方でも同じことがいえ、豊前地方に展開した秦氏が養蚕・織物・漆製造・漆工芸の技術をもっていました。虚空蔵菩薩は蚕神や漆工職祖神としてを敬う職能神であると思われます。


蚕の糞を蚕糞(こくそ)といい、漆工職が使う木粉を漆に混ぜたものも木屎(こくそ)で虚空蔵(こくそう)と語呂合わせができます。また蚕は幼虫→繭→蛾と死と再生(擬死再生)を三度くりかえすので不老不死の常世虫といい、それが常世の神(蚕神:かいこがみ)として信仰されたことから、養蚕や絹織物に励む秦氏の民にとって、蚕(常世虫)と常世の神(蚕神)と虚空蔵菩薩は一体となったのです。豊前の香春郡には桑原という地域があり、秦氏が勢力を伸ばした大隈国にも桑原郡という郡名があります。蚕用の桑の木を植えた証拠です。また、漆工職の祖神としての虚空蔵菩薩は、漆工職人とくに木地師の間では護持仏として虚空蔵菩薩が敬われています。


以呂波字類抄の本朝事始の項に、倭武皇子(ヤマトタケルは台与)が宇陀(奈良県)の阿貴山で漆の木をみつけ、漆を管理する官吏を置いたという記述があり、漆の木が自生している宇陀郡曽爾郷(今の宇陀市曽爾村)に「漆部造(ぬりべのみやつこ)」を置いたといいます。台与は秦氏と行動を共にしていました。hidemaru3375.com/post/台与と秦氏


これが日本最初の漆塗の伝えです。宇陀の地には紀伊(名草)から来た秦氏が古くから移り住んでいました。*名草は「呉の勝」のゆかりの地です。第271話:徐福伝説と「呉の勝」 「呉の勝」=秦氏でしょう。第48話:太田市と遺跡 ~呉の勝


・天孫邇々芸命(ににぎ)の子とされるのは虚空津日高(そらつひこ・火遠理命の尊称)です。邇々芸(ににぎ)も火遠理命も台与です。


・彦火火出見尊は、古事記に「爾海神自出見云『此人者天津日高之御子虚空津日高矣』」 〔ここに海神自ら出で見て「この人は天津日高の御子、虚空津日高なり」〕、すなわち海神と対面します。海神はウツシコオ(内色許男命)で、彦火火出見尊は台与です。*火遠理命=彦火火出見尊=火明命=台与


・九州各地に伝説の残る豊姫(与止姫=台与)は、神功皇后の妹の虚空津比売とされています。


・霊亀2年、泰澄は夢で、虚空から現われた女神に、「白山に来たれ」と呼びかけられます。お告げを信じた泰澄は、それまで誰も成し遂げられなかった白山登拝を決意し、弟子とともに白山を目指して旅立ちました。そして幾多の困難の末、ついに山頂に到達したとされています。虚空から現われた女神は菊理媛神です。菊理媛神は台与でしょう。参照:第115話:菊理媛神


・京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」という行事が行われています。台与は13歳で即位しました。


・ニギハヤヒは河内國の河上の哮峯(いかるがのみね)に天降り、次に大倭國の鳥見の白庭山に移り、空を駆けめぐる磐船から地上を眺め、「虚空見日本国」(そらみつやまとのくに)と名付けたとされています。


{参考文献}


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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