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豊国法師:仏教伝来と台与

更新日:10月9日

第464話 #豊国法師 #豊国奇巫 #台与 #邪馬台国


このブログでは菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)=台与=聖徳太子としています。

では、仏教伝来に台与は関与しているのでしょうか。教科書に書いてある仏教伝来ではある日突然仏教が一挙に伝来したというような印象を受けますが、実際は徐々に浸透してきたのです。第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?! hidemaru3375.com/post/台与と秦氏


古代の日本には、秦氏をはじめ、多くの渡来人(帰化人)が渡来してきています。彼らは日本への定住にあたり氏族としてグループ化し、氏族内の私的な信仰として仏教をもたらし、信奉する者もいたはずです。彼らの手により公伝以前から、すでに仏像や仏典はもたらされていたようです。522年に来朝した司馬達等は、すでに大和国高市郡において本尊を安置し、「大唐の神」を礼拝していたと扶桑略記にあります。雄略天皇(*注)の時代に見える豊国奇巫や用明天皇の時代に見える豊国法師は独自のルートで仏教を取り入れた集団出身であると考えられています。


豊国法師(とよくにほうし)は、日本書紀によると、用明天皇が病気となったとき、天皇が仏教に帰依しようと群臣に諮ったところ、賛否両論はあったが、その中で蘇我馬子が賛成したことから、穴穂部皇子に案内されて内裏に入ったのが豊国であったといいます。豊国とは台与のことではないでしょうか。


加藤咄堂氏の研究によると、豊国法師は、日本における僧のはじめとされる豊後国日田郡の忍辱(英彦山の開創者)を指すとしています。豊後国日田郡は台与の本拠地のひとつです。

参照:第407話:日田:金銀錯嵌珠龍文鉄鏡3

この「豊国」を九州の豊国とすれば、大和への公伝以前に豊国に仏教が伝わっていて、大和の人々が、九州を特殊な地域として認識していたとみることもできます。百済の王朝から日本の王朝へという公伝以前の仏教伝来が想定できます。


豊前国風土記;逸文に「伝言昔新羅神自度来、住此河原、号曰鹿原神。香春岳神。」とあり、この「豊国奇巫」や「新羅神・鹿原神・香春岳神」は民間で伝来した仏教や仏像、僧侶などであったとする説があります。豊前国風土記;逸文には、香春神社の祭神である辛国息長大姫大目命は、昔新羅より渡って来た神であると記されています。この息長大姫大目命は、大目=大日(大阪府守口市)で息長大姫は細姫(マシタ姫:孝霊天皇妃)=卑弥呼(ウツシコメ)であると既に書いています。参照:大山祇は息長氏


豊国奇巫や豊国法師は独自のルートで仏教を取り入れた集団出身であるとされています。

日本へ仏教が伝来したのは、公伝以前の民間ルートでの仏教伝来が想定でき、すなわち「私伝」説です。仏教伝来について、日本国現報善悪霊異記に、敏達天皇代(*注)に和泉国の海中から「霹靂に当りし楠」を発見して、これで仏像を制作したいと皇后に上奏したところ、皇后は「願ふ所に依るべし」と許可し、蘇我馬子は池辺直氷田を請えて「仏菩薩像」を造らせ、像を浦寺に置き、諸人が仰ぎ敬ったと書かれています。


ウツシコオ(=馬子?)は何度も魏まで赴いた難升米と思われますので、魏で仏教のことを知っていたと思われます。そして台与=菟道稚郎子は非常な秀才であったとされていますので仏教の理念を理解していたものと思われます。参照:馬子は大王(おおきみ)


物部氏は伝来した仏教には強硬な廃仏派であったとされています。ただし、物部氏の本拠のの渋川に寺の跡が残り、物部氏そのものは廃仏派ではなかったという説もあります。

仏教を巡って対立したとされる物部氏と中臣は同族です。(*注

守屋もウツシコオ(内色許男命)と思われます。なぜなら物部守屋は諏訪大社で祭られているタケミナカタだからです。参照:第70話:建御名方は物部守屋~信州諏訪


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(*注)~古事記・日本書紀に記載されている天皇=淡海三船によって名付けられたとされる天皇はすべて架空の天皇です。


(*注)~第315話:阿曇磯良は天児屋根命??では、阿曇磯良(安曇磯良:あづみのいそら)は安曇氏(阿曇氏)の祖神とされています。八幡愚童訓では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしています。天児屋根命(中臣の祖)・阿曇磯良=ウガヤフキアエズ=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。

・台与=ウマシマジは物部氏の祖とされています。参照:ウマシマジは台与!


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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祭神は、天足彦国押人命が、本殿の中の向かって左側が天足彦命、向かって右側が国押人命と別けて祀られている。


猪上神社(いがみじんじゃ)は、奈良県生駒郡平群町信貴畑に鎮座する『延喜式神名帳に列せられる式内社

信貴山真言宗総本山である信貴山朝護孫子寺の仁王門をくぐって約100メートル余、参道のすぐ右側に鎮座する。

古来より、信貴山境内にあって朝護孫子寺の鎮守社であった。

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